書けない感想文

先日のエクスターンについて、大学に提出する「自己評価書」と「レポート」を書かねばならないのだが、さっぱり進んでいない。レポートは、期間中に書いたものを適当に手直しして流用するとして、問題は「自己評価書」である。

早い話が「感想文」なのだが、この手の文章を書くのはもっとも苦手だ。私は、文章を書くのは好きなほうだし、それなりに能力もあると自負しているが、ジャンルによって、得手・不得手はある。

おそらくお気づきのように、論説文(「主張」など)や紀行文(随筆)が得意な反面、夏休みの宿題の定番・「絵日記」「読書感想文」以来、主観的な感想を綴る文章が書けない。事実を面白く描写することはできるが、内心を吐露するのは至難の業である。

私の悪い癖が、感想文を書いているうちに、論説になってしまうことである。中学3年の研修旅行(修学旅行)では、長崎で、被爆された方の体験談を聞き、京都に帰ってきてから、感想文を書いた。

細部は覚えていないが、被爆者の方は、大意こんなことを最後におっしゃった気がする。

「私たちのような体験をする人を二度と出さないためにも、日本は戦争をしてはならない。憲法9条を大切にしなくてはいけない」

この一言に、中学3年の私は、頭にきた。合衆国が、原子爆弾を用いて、広島・長崎で数十万人もの非戦闘員(一般市民)を殺戮したのは、明白な国際人道法(戦時国際法)違反であり(国際司法裁判所1996年7月8日勧告的意見「核兵器使用の合法性事件」ICJ Reports 1996, p.226参照)、日本の指導者らが「人道に対する罪」で軍事裁判にかけられるのなら、合衆国側も当然裁かれるべきで、その意味で、被爆体験の悲惨さを語り継ぐことは大事である。しかし、「被爆者」という、反対言論で対抗されにくい立場を奇貨として、自らの政治思想を流布するのは、越権行為である。

…感想文を書くつもりが、こういうことを論じて提出した記憶がある。

大いに脱線したが、要するに、感想文を書くのは苦手なのである。