ドイツ語あれこれ

私の中高時代の友人たちはおそらく知っているように、私は、ドイツ語が好きである。というより、語学全般好きなのだが、とりわけ、ドイツ語に興味がある。

中学1年のころ、ドイツ第三帝国(いわゆるナチス・ドイツ)に興味を持ち、アドルフ・ヒトラーの『我が闘争』を原語で読みたいと思ったことがきっかけという、時と場所をわきまえて発言せねば危険視されそうなことが、その理由である。誤解のないように付け加えておくと、私は、ヒトラーの思想に純粋な興味はあるが、それが正しいと思っているわけではない。だからこそ、一昨年、永年の課題だった、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収用所(ポーランド)も見学したのである。

それはさておき、ドイツ語好きにとって、身の回りにドイツ語が出てくると、無性に嬉しい。京都の平安神宮の近くに、冷泉通りという道路があり、外国人向けに、ローマ字で"Reisen dori Ave."という標識が立っている。当然、読みは「れいせんどおり」である。しかし、私には、そう読めたことがない。

というのも、"reisen"(ドイツ語読みだと「ライゼン」)は、ドイツ語で「旅行する」という意味の、まさに私とは切っても切れない語なのである。したがって、私の脳は、"Reisen dori"という標識を見た途端、ドイツ語で「ライゼン・シュトラーセ」と反応してしまうのである。

私の学部・ロースクール時代の憲法の先生である、初宿正典(しやけまさのり)教授は、私と同じくらい、ドイツ語が大好きなようで、『暇つぶしは独語で』というエッセイを書かれている。私は、教授の著書一覧でこのタイトルを目にして以来、ずっと、読みたいと思っていたのだが、絶版になっていた。

昨年、たまたま書店のドイツ語コーナーを物色していたところ、目の前に、初宿教授の『暇つぶしは独語で』が飛び込んできた。見ると、新版で再出版されたのだった。私は、夢か現かとほっぺをつねりながら、即購入した。

そして、「まえがき」を読み始めた私は、思わず目を疑った。

冷泉通り」"Reisen dori"の話が、そこに書かれていたのである。