「文民統制」謬論に見る政治家の資質

森本敏拓殖大学教授の防衛大臣就任をめぐり、いわゆる「文民統制」の観点から問題がある、との議論がある。

「安全保障はズブの素人だが、これが本当のシビリアン・コントロール文民統制)」と言い放った一川保夫防衛大臣といい、文民統制に関する誤解(あるいは、論者による恣意的で牽強付会な用い方)は、一義的には、当該個人の無知蒙昧が原因だが、究極的には、独立主権国家として当然の国防議論を忌避し続けた、我が国の「戦後レジーム」に行き着く。

文民統制とは、軍事に対する「政治優先の原則」(political leadership)のことであり、それ以上でも以下でもない。分かり易く言えば、国家にとっての一大事である戦争の開始(宣戦布告)等は、政治(すなわち、文民)が決定しなければならず、軍人が独断専行してはならない、ということである。

さて、鳩山由紀夫元首相によると、「ミサイル発射のボタンを押す権限を持つ大臣に、選挙の洗礼を受けていない民間人が就任するのは、文民統制上の懸念がある」のだそうだ(産経新聞の報道による)。

鳩山氏は、いい加減、自らが発言する度、この国を誤らせることを自覚し、身を処すべきだろう。

なぜならば、第一に、選挙の洗礼云々は、一種の「選民思想」にうぬぼれた政治家(正確には、議員のセンセイ方)が好んで使う言葉だが、選挙で選ばれたか否かは、文民であるか否かとは無関係だからである。「文民」の意義については、日本国憲法66条2項(「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」)の解釈上、「職業軍人でない者」と解されており、「政治家」ないし「議員」といった意味はない。

現に、歴代のアメリカ合衆国の国防長官は、軍人経験のある民間人が務めた例が多いが、鳩山氏の論法によると、合衆国の国防長官人事は、文民統制上大問題ということになる。

第二に、文民統制の意義については鳩山氏の勉強不足ということで目をつむるとしても、より致命的な鳩山氏の問題は、防衛大臣の出自を問題視することで図らずも露呈した、政治家(statesman)として最も基本的な、議院内閣制の本質を理解していないことである。

そもそも、現役議員であれ、民間人出身であれ、各大臣は、首相(内閣総理大臣)により任命され、天皇の認証を受ければ、内閣を構成する一員なのであって、内閣は、国会に対し、連帯責任を負っているのである(憲法66条3項)。

したがって、仮に、ある大臣の職務執行が問題になったとき、その大臣の職責が問われるのはもちろんだが、行政権の行使について、国会に対して責任を負うべきは、内閣にほかならない。

鳩山氏の論法は、個別の大臣に問題があっても、その大臣を罷免しさえすれば良しとし、内閣の連帯責任は一顧だにしない民主党政権を体現しており、むべなるかな、と思わず納得するが、いやしくも内閣総理大臣を務めた身として、これ以上の国会軽視はあるまい。

ためにする批判であっても、発言の奥底に、政治家としての資質欠如が垣間見える。鳩山氏は、首相退任時、自ら約束したように、速やかに議員からも引退すべきである。この人が口を開く度、日本が迷走する。議員歳費欲しさにその椅子にしがみついても、「政治屋」(politician)としか見られまい。