垣内さんへ―贈る言葉

垣内さんとは、読者諸氏もご存知の垣内剛JR西日本社長である。2月1日付で社長職を退任されるが、きょう、本社で、最後の「定例会見」を開き、在任中の出来事を振り返っておられた。

垣内さんにとって、(福知山線事故を除いて)印象的だったのは平成16年3月の完全民営化だという(JR西日本HPより)。国鉄分割民営化に携わった当事者として、もっともな感想なのだろうが、16年3月は、国保有株式の売却が完了したという事実上の時点である。法的な完全民営化は、13年12月施行の「改正JR会社法」(旅客鉄道会社および日本貨物鉄道株式会社に関する法律)によって、すでに達成されていた(JR東日本JR東海JR西日本の3社は、JR会社法の規制から外れた)。

垣内さんが第4代のJR西日本社長に就任したのは、15年4月。この時も、JR西日本は逆風の中にあった。前年11月、東海道本線塚本−尼崎間で、人身事故の救助作業中だった救急隊員2名が、特急「スーパーはくと」にはねられ、死傷するという事故が起きていた。指令が、現場の状況を確認しないまま、運転再開したことが原因だった。また、14年暮れには、大阪高裁で信楽事故損害賠償請求事件(民事)の控訴審判決が出て、1審に続いてJRの過失責任が認定されていた(JRは上告を断念し、確定)。5月、就任間もない垣内さんが、最初に表に出たのは、ほかでもない信楽事故の慰霊式だった(14年まで、JRは責任の所在を争っていたため欠席)。

だが、この後は、明るい時代が訪れる。この年、阪神タイガースが18年ぶりに優勝。ダイエーと戦った日本シリーズの時には、垣内さんは会見で「大阪と福岡。『山陽新幹線シリーズ』だ」と、はしゃいだ。11月には、アーバンネットワークICカード乗車券「ICOCA」のサービスが始まり、垣内社長は、記念式典で、イメージキャラクターの仲間由紀恵さんと並んで、大阪駅の改札を通った。「ICOCAでいこか」が、流行語となった。

ただ、鉄道ファンとしては、11月30日限りで、広島県可部線の末端区間が廃止されたことは、悲しいニュースだった。

いい日旅立ち・西へ」や、"Discover West"など、国鉄時代の「カバー」といえるキャンペーンも始めた。そして、16年3月の完全民営化。ちなみに、私が就職活動でJR西日本を受けたのはこの頃だった。

「恩讐」―。私は、JR西日本という会社に、こういう感情を持っている。地元ということもあり、JRグループでいちばん愛着があるが、いちばん「嫌い」な会社ということも事実だ。不満のほうが圧倒的に多い。けれども、鉄道会社というのは、嫌だから利用しない、ということはできない。

JR西日本の改革は、前途多難かもしれない。垣内さんは、この一年、「憎まれ役」になって気の毒だったが、山崎新社長には、生まれ変わる絶好のチャンスをいかしてほしいと思う。JR西日本の社員が好んで口にする「良質の危機感」を、今こそ、強く持ってほしい。私はこれからも、一利用者として、JR西日本を大いに支えていくつもりだ。

垣内さん、2年10ヵ月、本当にお疲れさまでした。