日本人よ

トリノで、日本人選手が苦戦している。評論家ぶって、その理由を云々するつもりはない。ただ、このまま「厭戦」ムードが広がれば、またぞろ「参加することに意義がある」論が出てくるに違いない。

私は、この手の議論には虫酸が走る。選手は、「戦い」に行っているのである。物見遊山に行っているわけではない。メダルを逃した選手への慰みのつもりか知らないが、事の本質を見失ってはいけない。

昭和11年ベルリンオリンピックの時、前畑秀子は、重圧に苦しみ、往路の客船から身を投げることを考えたという。戦後、昭和39年の東京でも、マラソンで銅メダルに甘んじた円谷幸吉は、「これ以上走れません」という遺書を残して自殺した。

なにも、彼らに見習え、と言うつもりは毛頭ない。ただ、日本人の「変化」を感じずにはいられない。負けて帰ってきた選手が、「楽しんできました」などと、しゃあしゃあと言ってのける時代である。

その言葉は、いちばんの難関を乗り越えた勝者のものだ。だからこそ、平成12年のシドニーで、高橋尚子の「とっても楽しい42.195キロでした」という一言が、感動的だったのである。