ネットワーク維持の重み

日本時間24日の午前5時すぎ(現地時間23日午後8時すぎ)、イングランド北部のカンブリア州で、ロンドン・ユーストン駅発グラスゴーゆき特急列車(西海岸線経由)が脱線・転覆し、乗客1人が死亡する事故が発生した。現在も、重症の8人が入院中だという。

世界中の鉄道に乗りまくるのが趣味の私は、鉄道事故と聞くと、それが日本から遠く離れた国であっても、胸が痛む。同時に、原因が気になる。私にとって、世界の鉄道の安全は、他人事ではなく、「国際の平和と安全」(国連憲章1条1項参照)にも匹敵する一大事なのだ。

2年前の福知山線事故でもそうだったように、事故直後は不正確な情報が飛び交うが、今日になって、正確なニュースが入り始めた。BBCの報道によると、現場は、湖水地方の平原地帯の築堤上で、列車の進行方向(グラスゴー方向)に向かって、緩やかに左にカーブしている。問題の列車は、「ヴァージン・トレイン会社」(注、英国の鉄道運営の現状については、後述)の特急列車で、9両編成。時速95マイル(約150キロ)で走行中に、脱線した。写真で見たところ、諸外国に多い機関車牽引の客車列車(日本における「ブルートレイン」など)ではなく、動力分散式の電車列車(同「新幹線」など)のようだ。9両の全車両が脱線し、先頭から5両目までは完全に横転、先頭の1両目は、連結から外れ、逆向きに停車している。

現地の鉄道専門家・Christian Wolmar氏がBBCに語ったところによると、現場の直前に「ポイント」(分岐器)があり、そのボルト(ナット)の一部が紛失しているほか、ポイント可動部のレールを固定する部品が、「明らかに緩んでいる」(apparently loosened)という。現時点で、これ以外に、脱線の原因となるべき事象は見つかっておらず、線路の保守点検が適切でなかったことが、本件事故を引き起こした可能性が高い。

英国では、「英国国有鉄道」(BR)の分割民営化(段階的に実施され、1996年完了)後、線路の不具合による事故が頻発している。記憶に新しいものだけでも、2000年秋にロンドンのキングス・クロス駅付近で特急列車が脱線し、乗客が死亡する事故があったほか、2002年5月には、今回と同じように、ポイントの不具合が原因で、7人が死亡している。この間、英国と比べてもはるかに多くの列車を毎日走らせているJRグループでは、保線ミスに起因する死亡事故は1件も発生しておらず、線路の保守管理体制に問題があるといわざるをえない。

この問題を解く手がかりは、英国国鉄の複雑怪奇な民営分割方式にある。日本の「国鉄改革」とJRグループの大成功に触発され、諸外国でも、1990年代以降、国鉄の民営化が相次いで実施された。欧州の主要国で、現在も「国有鉄道」を維持しているのは、フランスくらいである。日本の国鉄改革では、全国を6つのブロック(北海道・東日本・東海・西日本・四国・九州)に分け、それぞれに承継法人(旅客鉄道会社)を設立する「地域分割」方式を採用した。なお、貨物については、輸送の一体化の観点から、全国一元管理とされたが、線路(施設)は旅客鉄道会社が所有し、貨物会社はその施設を借りて列車を走らせることとなった。

これに対し、英国では、地域分割の要素もないではないが(スコットランド地域を担当する「スコット・レール」など)、「路線」ないし「列車」単位の分割を行なった。例えば、東海岸線経由でロンドンとスコットランドエディンバラなど)とを結ぶ特急列車は、「グレート・ノース・イースタン」鉄道(GNER)、西海岸線は「ヴァージン」、という具合である。そして、注目すべきは、これらの会社(「オペレーター」と呼ばれる)は、自ら線路を管理することはせず、線路施設の管理は、全国一元の「線路保有会社」が担当することとされたことである。

ところが、この方式は、失敗だった。線路保有会社は、当初は英国政府からの補助金もあり、毎年のように高額の配当を継続した。ところが、相次ぐ事故を受けて支出が増大、「オペレーター」からの線路使用料収入では経費を賄えなくなり、2001年10月、政府補助がストップするや否や、裁判所に破産を申し立てた。この事態に、ブレア首相が解決に乗り出し、基幹鉄道施設については「ネットワーク・レール」という政府出資の特殊法人(保証有限責任会社 limited liability company by guarantee)が、直轄管理することとなった。

私事になるが、4年前のちょうど今頃、ロンドン・ユーストン駅近くのホテルに泊まっていた私は、ユーストン駅の窓口で、今回事故のあった西海岸線経由のグラスゴーゆき特急列車(オペレーターは「ヴァージン」)のチケットをとった(英国鉄道乗り放題の「ブリット・レイル・パス」を持っていたので、無料)。翌日、荷物を持ってユーストン駅に行くと、構内が騒がしい。何事かと駅員に尋ねると、「線路の緊急点検」のため、その日の列車はすべて「運休」だという。グラスゴーのホテルを予約していたので、私は急遽、タクシーを拾って、東海岸線の始発「キングス・クロス」駅に移動、GNERの特急列車に乗り、エディンバラへ向かったのだった(エディンバラからグラスゴーまでは、近郊列車で40分程度)。

「渡りに船」だったGNERの駅にも、「○月○日の日曜日は、保守工事のため、次の列車の運転を休止します」という掲示があちこちに張られており、私は、英国の鉄道の惨状を、身をもって実感させられた。同時に、日本の「国鉄改革」の方向性は正しかった、と再認識した。

すなわち、鉄道会社の信頼の基礎は、自前で施設を保有・管理することにあるのである。国や自治体が公費で造った空港に乗り入れ、自らは飛行機を飛ばしているだけの航空会社や、道路上でバスを走らせているだけのバス会社とは、社会的信用、会社としての「重み」に、格段の差がある。

ネットワークを自前で維持するのには、莫大なコストがかかる。鉄道は、進出・撤退を自由に繰り返すことのできない事業である。JR東海葛西敬之会長が、「鉄道の経営は、50年、100年のスパンでものを見る必要がある」とおっしゃるのは、まさにこの意味であろう。

ところで、施設管理と役務(サービス)提供者が分かれるという形態、最近どこかで聞いた話ではないか。そう、それは「郵政民営化」に他ならない。今年10月、日本郵政公社は、郵便・貯金・保険の各事業会社と、ネットワークを担当する「郵便局」会社に分割民営化される。

輸送を担う鉄道とは違い、安全面での懸念はないだろう。だが、問題を「窓口サービス」に置き換えてみれば、どうだろう。「郵便局」会社がどれだけ努力しても、事業会社から受け取る事務手数料は、それほど増えない。そうなったとき、サービス向上などおよそ期待できないばかりか、過疎地におけるネットワークの維持も、心許ない―。

英国発のニュースに、そんなことを思う週末である。