武士道の息づく国・台湾

5月30日から、台湾(中華民国)の李登輝前総統が、芭蕉の「奥の細道」をたどる観光目的で、日本を訪問されている。

これまで、外務省は、李登輝さんに対し、病気の治療など人道上の理由がある場合を除いて、ビザ(査証)の発給を渋ってきた。中国政府(北京)の反発を恐れたからである。だが、本来、外国人の入国を認めるか否かは、国家の「主権的管轄事項」に属し、他国にとやかく言われる筋合いはない。むしろ、自国の政治的立場を押し付ける北京政府の側こそ、国際法上の「不干渉義務」違反である。
(なお、日本政府は、昭和47年の日中共同声明に基づき、北京政府の立場を「十分理解し、尊重」する義務を負うのみであり(同声明第3項)、「台湾は中国の一部」などという北京政府の一方的主張に拘束されるわけではない。)

最近、日本政府は、台湾からの観光客に対してビザ取得を免除することとしたため、李登輝さんの訪日が実現した。依然、北京政府の外交部(外務省)報道局長は、「日本政府に対し、強く抗議した」などと、理解に苦しむ発表をしているが、もはや負け犬の遠吠えである。

李登輝さんは、台湾が日本領だった時代に、京都帝国大学農学部を卒業され、「普通話(北京語)より日本語が得意」と公言されている。今回の訪日に際しては、実兄が祀られている靖国神社への参拝の意向も示され、心は「日本人」そのものである。

戦後、贖罪史観に染まった歴史教育を受けてきた多くの日本人にとって、李登輝さんのような台湾人の存在は、理解できないことだろう。「戦前の日本は、アジアを侵略して『植民地』化し、現地住民を弾圧してきた」と、思い込んでいるからである。

しかし、恩を仇で返すどこかの半島の国はさておき、日本統治時代を知る台湾のお年寄りで、日本を悪く言う人は、きわめて少ない。台湾には、戦後の日本が失った、「武士道」精神・「良妻賢母」の教えが、未だに息づいているのである。

5年前の夏、初めて台湾を訪れた私は、忘れられない体験をした。台北から、台湾東部の都市・花蓮へ向かう特急列車(「自強」号)に乗っていた私に、隣の席のお年寄りが、中国語で話しかけてきた。

私は、中国語はからっきし駄目なので、日本語で
「すみません、中国語はわかりません」
と、返事した。すると、隣席氏は、流暢な日本語で、
「日本人ですか」
と、言い、堰を切ったように、日本語で、いろいろ質問をしてきた。

今の日本には徴兵制はあるのか、君は大学で何を勉強しているのか、等々。

隣席氏の話す日本語は、外国人の話す日本語とは異なり、抑揚も完璧だったが、どこか生硬で、60年前の日本人と話しているようであった。私たちは、時折メモに字を書きながら話していたが、隣席氏の書く漢字は旧字体で、カナはひらがなではなくカタカナを使われた。

私は、感心して、
「今の日本の若者より、立派な日本語を使われますね」
と、言った。

外国人が、「コンニチハ。ワタシノ、ナマエハ○○デース」と挨拶したくらいで、「日本語が上手ですね」と、お世辞を言うことがよくあるが、この時は、そうではない。

忘れられないのは、隣席氏のつぎの言葉である。

「日本はこのままだと、溶けてなくなってしまいますよ」

軽薄な戦後の日本人に、これだけは言っておきたい、そんな口調であった。私は、頭を殴られた気がした。

私が、戦後の日本に対する警鐘を込めて多用する「日本が溶けてゆく」という表現は、何を隠そう、この台湾のお年寄りの言葉である。

さて、李登輝さんの著書に、『「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは』(小学館、平成15年)という書物がある(もちろん、日本語)。感銘を受けた私は、JR東海の人事面接で、「印象に残った本は何ですか」という質問に、この本を挙げたくらいである。戦後、生き方を見失い、自信を喪失した日本人は、ぜひ読むべき名著である。

それにしても、「日本人」としてのあるべき姿を、「台湾人」の李登輝さんに教えられ、かたや、日本人であるはずの大江健三郎氏のような作家が、贖罪史観に目を曇らせ、事実を歪曲した歴史小説を書いているというのは、皮肉な現実である。