自由で公正な国際社会をめざして

戦争と平和の法」として,国家間関係を規律する近代国際法が生まれたのは,17世紀に遡る。以来,国際法は,国家間関係の究極の発現形態である戦争の歴史とともに歩んできた。

国内に通用する法律は,立法者(議会)が作り,その最終的な解釈・適用は,司法(裁判所)が担う。一方,国際法領域においては,中央集権的な機関は存在せず,それぞれの国家が,国際法の第一義的な解釈・適用権限を有している。伝統的に,国家は,いざとなれば,戦争によって紛争を解決してしまえばよく,法の解釈が違っても,不都合はなかったのである。倫理的な善悪はともかく,第二次大戦前まで,戦争は,必ずしも「違法」ではなかった。

しかし,現代国際法の下では,戦争を含むあらゆる武力の行使は,二つの例外(自衛権が発動される場合,国連安保理決議に基づく場合)を除いて,国際法上「違法」である。だから,左翼の人たちがしばしば主張する「憲法9条がなくなると,日本もアメリカみたいに戦争ができる国になる」という議論は,憲法解釈としても間違っている上に,「私は国際法を何も知りません」と言っているに等しい。

話が逸れたが,国家間紛争を戦争に訴えずに平和的に解決するに当たり,なくてはならない機関は,いうまでもなく裁判所である。オランダ・ハーグに置かれた国際司法裁判所(ICJ)が,それだ。

戦後,ICJ判事には3人の日本人が就任してきたが,この度,2003年からICJ判事を務められている小和田恆裁判官が,ICJ所長に選出された。日本人として喜ばしいことで,小和田裁判官のますますのご活躍を祈念したい。

現在,我が国は,ロシアとの北方領土問題,韓国との竹島問題,中国との海洋境界画定問題など,国際法によって解決可能な紛争をいくつか抱えている。平和ボケしたこの国は,軍事力の背景なき外交交渉など何の力もないことを未だに分かっていないようだが,不毛な「話し合い」を延々と続けていても意味はない。先にも述べたように,国際法の最終的な解釈・適用権は国家にあるため,相手国が裁判に同意しない限り,原則として,ICJに訴えることはできないが,国際裁判によって紛争解決を図ることも積極的に考える必要がある。きょう2月7日は,「北方領土の日」である。