壁と卵―村上春樹再評価

高校生の時だったと思うが,国語(現代文)の授業で,村上春樹の作品を読んだ。作品名は覚えていないが,何を言いたいのかさっぱり理解できず,以来,私は,村上春樹の作品に群がる人たちが不思議でならなかった。

「分かりやすい文章」を書くのが最も重要な素質である法律家から見て,作家というのは,分かったようなことを分からない言葉で表現して,読者を惑わせるのが仕事なのかと思ったりもした。

今年2月,同氏がイスラエルエルサレムで行われた「エルサレム賞」授賞式に出席した際のスピーチを聞いて(新聞で読んで),氏に対する見方が,少し変わった。

この時,氏が授賞式に出席することに対しては,批判的な意見もあった。いうまでもなく,国際社会におけるイスラエルの立場に照らしての批判である。

氏のスピーチは英語であるが,こういうことを言っていた。
「高く堅固な壁と卵があって,卵は壁にぶつかり割れる。そんな時,私は常に卵の側に立つ。」

無能な日本のマスコミ(の一部)は,「軍事的アプローチを続けるイスラエルに対する批判」と解釈していたが,私は,それは違うだろう,と思っていた。イスラエルに対する批判なのであれば,そもそも,聴衆が拍手喝采するはずがないのである。

ここでの「壁」とは,軍事力ではなく,人間が作った制度なり,観念といったもの(スピーチ原文でいう"The System")を指している。本来,「手段」であるべきそれらが,自己目的と化し,人間を縛るようになることを批判しているのだ。少しうがった見方かもしれないが,「イスラエルでの授賞式に出席すること」自体を批判する,自称・親パレスティナ派こそ,「壁」にほかならない。

私は,氏のこのスピーチに,「さすが村上春樹だな」と思った。

さて,先日,同じ部に配属されている同期と,村上春樹の話になった。彼女は,氏の新刊の『1Q84』を読んでいた。

私が,村上春樹の作品は好きではない,と言うと,彼女は,「『ノルウェーの森』とか『海辺のカフカ』とかを読むからじゃないの?短編のほうが面白いよ」と言った。

そして,お薦めの短編集を貸してくれた。早速読んでみたが,彼女一押しの「パン屋再襲撃」(『象の消滅』に所収)など,思わず笑ってしまうほど面白い。

「目からうろこ」とはこのことで,いろいろなものの見方が,変わった。

「私は,常に卵の側に立つ。」