愛の鞭

1か月ほど前のことだが,最高裁で,こんな判決が出た。

最高裁第三小法廷平成21年4月28日判決
「小学校の教員が,女子数人を蹴るなどの悪ふざけをした2年生の男子を追い掛けて捕まえ,胸元をつかんで壁に押し当て,大声で叱った行為が,その目的,態様,継続時間等から判断して,国家賠償法上違法とはいえないとされた事例」

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090501112210.pdf

判決全文をPDFで読んでいただければお分かりだと思うが,常識的で,画期的な判決である。いわゆる「体罰」が違法であるのは確かだが,権利意識ばかり強い人たちは,しばしば,前提事実をはき違えた議論をしがちだ。

そもそも,何の理由もなく児童・生徒に暴行を加える教師などいないのであって(そんなことをすれば,れっきとした犯罪である),今回の最高裁判決の事例のように,指導熱心な教師が勢い余って手を出してしまう,というケースがほとんどである。なぜ,教師の手が出るような事態になったのかといえば,当該児童・生徒が,学校生活の中でのルール違反を犯したからにほかならない。その親にしてみれば,鼻息荒くして教師や学校を訴える前に,すべきことがあるはずだ。

今回のケースで,原審の福岡高裁は,判決主文(請求一部認容)を導く上で,一見不要とも思える次のような事実を認定している。
「その間,被上告人(注,「体罰」を受けた児童)の母親は,長期にわたって,本件小学校の関係者等に対し,A(注,教師)の本件行為について極めて激しい抗議行動を続けた。」

具体的な証拠関係を見ていないので軽々に論ずることはできないが,判決が「極めて激しい抗議行動」と書くほどだから,児童の母親は,常軌を逸したような言動に出ていたのだろう。推測になるが,福岡高裁の内心は,請求を認容することに,ためらいがあったのではなかろうか。

今回の最高裁判決は,5人の裁判官全員一致で,教師の行為に違法性はないと判断し,原判決を破棄して児童側の請求を全部棄却した。

この最高裁判決に対して,マスコミの論調は分かれている。産経新聞は,「常識的で妥当な判決」と評価する一方,朝日新聞は「体罰容認論につながる」などと批判的だ。判決に批判的な方がおっしゃるには,「愛の鞭」など存在せず,体罰は児童・生徒の心を傷付けるだけだという。

果たしてそうだろうか。私は,小学校5年生の時だったと思うが,友達とふざけて学校の花壇を踏み荒らし,教室のみんなの前で,担任の先生にお尻を叩かれたことがある。

もちろん,その時は,恥ずかしさもあってショックだったが,それ以上に,「こんなこと,もうするなよ」という先生の叫びが子供心にも伝わってきた。その先生に対して賠償を求めて訴えるなど,思いも及ばないことだった。ちなみに,その先生とは,小学校時代の先生で唯一,現在でも年賀状のやり取りを続けている。

結局,「愛の鞭など存在しない」と言い切る人権派の方々は,尊敬できる教師に出会えていないだけということなのだろう。

それにしても,今回の事件で,訴えられた男性教師と,「女の子数人を蹴るなどした小学校2年生の男子」は,最高裁判決までの6年半を,どのように過ごしてきたのだろうか。失意の教師と,我が物顔でのさばる児童。双方にとって,訴訟などよりずっと良い生き方があったに違いない。