被験者

文学部で心理学を専攻している、高校時代の友達から、卒論のための実験への協力を頼まれた。もとより、ロースクールの単調な(それはそれで楽しいが)毎日でマンネリ化していたところであるから、二つ返事で承諾した。

なにやら不思議な眼鏡をかけて、ひたすらダーツをするというもの。なかなか楽しく、空きコマのいい時間つぶしになった。論文のテーマとの関係はここでは省略するが、卒論という制度のない法学部(あくまで、京大の話)を卒業した人間には、テーマに沿って、自分で実験内容を設定するというのが、新鮮で、羨ましかった。他分野の研究の一端を垣間見られるというのは、総合大学(のロースクール)の魅力の一つだ。

法律学も、研究者をめざす人たちは、古典的な法律解釈上の「論点」や、これまで研究されてこなかった領域を発掘して、論文を書く。しかし、「法学研究科」とはいっても、法曹養成専攻の私たちは、明治以来の「理論」の集大成(これは、学部で教授される)に、判例やモデルケースを使った「実践」演習を積むだけで、自ら新たなものを生みだしはしない。

つくづく、法律家というのは、なんら生産性のない仕事だと思う。他人の喧嘩に首を突っ込んで、それで飯を食っているようなものだからだ。他にやりたいことがある人は、法律家になろうなどと、思わないほうがよい。

私? かく言う私は、弁護士になるつもりは毛頭ない。ただ、検察官になって、裁判の場で被害者の無念を代弁できれば、と思うだけである。復讐が許されていない世の中、「被害者とともに泣け」るのは、検察官しかいない。そう思う。