異議あり!

ロースクールでは、憲法民法など主要な法律科目の授業は、設例の検討(ケーススタディ)を通して行なわれる。

きょうの民法では、鉄道の新駅設置工事現場で、建設工事を請け負った建設会社の作業員が、列車にはねられて死亡し、その妻が、建設会社および鉄道会社に対して、損害賠償請求をする場合の法律構成を取り上げた。

本件のいわゆる「論点」は、法学部のお友達にでもお尋ねいただくとして、私にしか書けないことを一言。

設例では、被告鉄道会社(以下、Yという)の運転士Lは、「青信号に従い、運行計画に指示された速度で運転しており、500メートル手前で作業員らに気づき、非常制動をかけたが、間に合わなかった」とされていた。この事実からは、Lに「過失」はないことになり、Yが責任を負う余地はなさそうである。ところが、担当の教授は、こうおっしゃった。

「青信号で進んだ運転士。本当に過失はないのか?信楽高原鉄道事故の1審判決は、青信号で進んだJR乗り入れ列車運転士の過失を認定しました。また、交通事故のケースで最高裁は、青信号で進んだ自動車運転者の過失を認めています」

思わず、「異議あり!」と叫んで、反論したくなった。

実は私は、信楽事故関係訴訟の判決は、刑事・民事とも、全文を読んだことがある。

信楽訴訟(民事)の大阪地裁判決が、乗り入れていたJR西日本運転士に過失あり、としたのはその通りなのだが、この判断は、控訴審の大阪高裁判決(確定)で覆されている。もっとも、結論的には、高裁もJR西日本の責任を認め、むしろ賠償額を増額したのだが、理論構成は異なる。簡単に紹介しよう。

控訴審JR西日本は、「運転士に、青信号でも止まって確認する義務を課した1審判決は、到底容認できない」と、強く主張。大阪高裁は、この点についてはJR西日本の主張を認め、青信号で進んだことについて運転士に過失なし、とした。

そのうえで、信楽高原鉄道(以下、SKRという)では、問題の事故に至る前から、規則違反の運転取り扱いが常態化しており、接続駅のJR西日本貴生川駅の助役、JR西日本の運転士らは、事故の発生を予見しえたのであるから、上司に進言するなどして、SKR側に善処を求める義務があったにもかかわらず、これを怠った過失がある、とされたのである。

率直にいって、損害賠償責任を課すには、いかにも苦しい論理で、「被害者救済」を裁判所も意識したのだろう(ちなみに、刑事裁判では、JR社員は全員不起訴となっている)。

私は、鉄道の専門家として、青信号(正しくは「進行」現示という)に従って列車を走らせた運転士に過失を認めた1審判決は、鉄道のイロハも理解していないと考えている。だから、JR西日本の主張を容れた大阪高裁判決は、それなりに評価している。

今日の民法の教授もそうなのだが、鉄道の信号を、道路の信号と混同しているきらいがある。道路の信号は、交差点間である程度の「連動」はしているが、基本的には、一定時間が経つごとに、機械的に変わってゆく仕組みだ。しかし、鉄道の信号は、そうではない。

鉄道では、その先の一定区間(これを「閉塞」と呼ぶ)の安全が保証されない限り、信号に進行現示(青信号)は出ない。道路の青信号は、単に「進んでよい」という意味であって、進路の安全を担保するものではないが、鉄道信号の進行現示は、「その先の区間に、他の列車は絶対に在線しない」という、絶対的な安全を意味するのである。

なるほど、道路であれば、青信号だからといって、左右を確認しないまま交差点に突っ込むのは、無謀だろう。しかし、鉄道の信号は、道路信号のような危険なシステムではないのである。

20世紀の初めから、鉄道発祥の地・イギリスでは、鉄道の安全の三本柱は「ロック、ブロック、ブレーキ」といわれた。Lockは「連動装置」、Blockは今回説明した「閉塞」、Brakeは、いうまでもないだろう。

かなり、長文になってしまった。信楽事故判決の問題点については、私が某メールマガジンに連載している「鉄道判例十選」でも、追って取り上げるつもりだ。

ちなみに、信楽事故の損害賠償請求控訴事件の大阪高裁判決(平成14年12月26日)の全文は、こちら。判決文なんて見たことがない、という人も、一度見てみるとよいだろう(感想があれば、コメントにどうぞ)。