ほら、また「捜査」かい

昨夜、JR東日本羽越本線で、秋田発新潟ゆき特急「いなほ14」号が脱線・転覆した事故は、大変なショックだった。原因はまだ調査中だが、折からの突風に煽られて横転したとみて、ほぼ間違いなさそうだ。

国鉄JRグループでは、本線を運行中の列車(回送列車・貨物列車等を含む)が衝突・脱線・火災を起こした事故を「列車事故」と定義し、さらに、旅客に死者が出た場合などは「重大事故」という分類になる。今回の事故は、まぎれもない重大事故で、JR東日本が、お客様・亡くなられた乗客の遺族の方、世論から痛烈な批判を浴びるのは、仕方ない。運輸企業の「宿命」である。

しかし、世間の方に、ぜひともわかっていただきたいのは、「犯人探し」は何の役にも立たないということである。

何か不祥事があれば、トップが辞任しなければ納得しない日本社会では、まだまだ受け容れられない議論かもしれない。が、まあそういわずに、聞いてほしい。

今回の事故でもそうだが、刑法上の「業務上過失致死罪」にあたる可能性があるということで、山形県警が捜査に乗り出している。ふつうの人は、これを当然だと思うのかもしれない。しかし、われわれにすれば、鉄道運行については「素人」同然の警察に、何がわかるのかと思う。

そのうえ、刑事裁判を前提とした警察による捜査は、本件のような「過失犯」においては、事案の真相解明に有害無益でしかない。なぜなら、何人にも憲法上の権利として「供述拒否権」(黙秘権)がある以上、関係者は、自らの訴追につながる事実をあえて話すとは考えられないからだ。

結局、多くのケースでは、検察官は、公判を維持(有罪判決を獲得)できるだけの証拠がないとして、不起訴にする。日航ジャンボ機墜落事故でも、信楽事故でもそうだった(JR西日本側について)。

遺族の方は、それをケシカランとおっしゃる。心情的には理解できるのだが、やはり、「捜査」を通して真相解明に期待するのは、筋違いというほかない。

では、どう考えればよいか。原因究明は、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会に委ねるべきだと思う。この「事故調」という組織は、福知山線事故でもクロースアップされたから、ご存知の方も多いだろう。事故原因の学究的解明と、再発防止策の提言を任務としており、調査報告書は一般公開される。事故調は、刑事責任を追及する機関ではないから、関係者も真実をありのままに話すことが期待される。

ところが、一方において、刑事裁判を意識した警察が「捜査」をする限り、事故調設立の理念は没却されてしまう。というのも、事故調の報告書は、明文で、刑事裁判に利用しないこと、とされているのに、裁判所は、有罪認定の証拠として採用してしまっている現実があるからだ。

そこまでして関係者を処罰するより、もっと大事なこと。それは、事故の教訓を、将来の安全に生かすことである。

こう考えてくると、行き着く先は、航空事故・鉄道事故、医療事故など、専門的判断が必要な一部の過失犯の非刑事化(非犯罪化)に他ならない。すでにアメリカ合衆国では、こうした考え方がとられている。

将来、検察官になって、ぜひ手がけたい仕事、ライフワークだと思っている。この話を、先日、本学に実務家教員として来られている刑事裁判官にする機会があった。判事は、
「君の問題意識は、よくわかる。ほんの小さな過失で、人って死んじゃうんだよ。われわれが、台所でフライパンを引っくり返すくらいの過失で。フライパンを引っくり返しても罪にならないのに、たまたま人が死んだから犯罪、っていうのは、本当いうとおかしいんだよな。だけど、検察庁にとっては、権限が奪われるわけだから、役所の抵抗は大きいぞ。今のうちに、いろんなところに味方を作っておけ」
と、おっしゃった。

JR東海とは結局縁がなかった私だが、鉄道事故などの「非刑事化」(あるいは、刑事免責)を通して、鉄道の安全に、わずかでも貢献できるかもしれない。