瀋陽発・満州特派員リポート

15時15分(日本時間16時15分)。冬型の気圧配置に伴う強いヘッドウィンドを受けて、私を乗せたA321型機は、少し遅れて、瀋陽桃仙国際空港(東経123°北緯41°)に着いた。機長からの報告によると、この時点の気温は−11℃。飛行機からは、地上はうっすらと雪が積もっているように見えたが、街なかは、ところどころに凍った雪が残っているだけ。

飛行機の中で、致命的な忘れ物をしてきたことに気づく。それは、カイロ。−11℃くらいは北海道やロシアで体験済みだが、明日訪問するハルビンは、もっと寒いはずだ。カイロなしで、はたして無事帰国できるだろうか…?

と、読者の不安(期待?)を煽っても仕方ないが、慌てて荷造りすると、ろくなことがない(ペルーの時は、部屋履き用のスリッパを忘れた)。

いったん瀋陽市内のホテルに入って荷物を置き、散歩に出かける。まだ17時前だが、北国の冬の短い日は、もう暮れかかっている。安食堂などがひしめく、煙臭い裏通りを歩く。露店では正体不明の物が売られ、道行くおっさんは、あちこちで「カーッ、ペッ」と、勢いよく痰唾を道路に吐いている。ああ、中国に来たんだなあ、と嫌でも思う。

瀋陽は、かつて奉天と呼ばれた。ここが日本領になったことはないが、日露戦争勝利・ポーツマス条約で長春以南の鉄道の運営権を獲得し、南満州鉄道株式会社が設立されてから、大東亜戦争で日本が敗れ、満州を撤退するまで、満鉄を通して、わが国が満州一帯を統治し(「鉄道附属地」という制度があり、この区域には日本法が適用された)、インフラ整備など近代化を進めた。今も、瀋陽市内には、「満鉄」マークの入ったマンホールが残っているという。

多くの日本人が行き交ったであろう奉天時代の栄華を想像しながら、凍える街を歩く。40分ほど歩いて、繁華街の「中街」にたどり着いた頃には、ダウンジャケット・マフラー・ニット帽・2枚重ねの手袋に蓄えた「暖気」は、とうに尽き果てていた。

どこかの店に入りたい。安食堂はいくらでもあったが、消化されずにトイレ直行になるに決まっている。かといって、マクドナルドやケンタッキー、吉野家(結構流行っている)などの、見慣れた店も避けたい。きょろきょろ探しながら歩いていると、餃子の専門店が見つかった。そこに入る。

席に着くと、服務員が、じょうろのお化けのような器具で、器用に中国茶を注いでくれる。メニューは中国語、服務員も中国語しか話さず、私は中国語はからっきし駄目だが、「漢字」文化という共通項がある。ロシア語のメニューは、知らなければおよそ理解できないだろうが、漢字の羅列は、目を凝らしていると意味が見えてくる。

餃子だけで20種類以上あるが、店員おすすめのオーソドックスな餃子(メニューの一番上)と、青島ビールを注文。ビールを「ピージュウ」ということだけは知っているから、飲むには困らない。ご飯も欲しいので、紙に「米飯」と書いて見せたが、服務員は、「没有」(メイヨウ)と言って、首を横に振った。

一皿に餃子は10切れ載っていた。醤油と唐辛子をつけて食べる。うまい。なおのこと、ご飯があればなあ、と思う。物足りないから、今度は「カレー」という漢字の入った餃子を追加。確かにカレーの風味はしたが、一皿目のほうがうまかった。思うに、中華は、一人では食べにくい。何人かいれば、何種類も注文できるのに…。

帰りは、ホテルまでタクシーを飛ばす。中国のタクシーは初乗り7元(約100円)と安く、日本人にとって、わざわざバスを待ったりするメリットはない。ただし、運転手は片言の英語もできないので、乗車時はメモ用紙とペンを忘れずに(いうまでもないが、行き先を漢字で書いて見せるのである)。メーター制なので、ロシアやペルーの時のように、運転手と「駆け引き」する必要がなく、気楽だ。

ホテルに帰ると、旅行会社から、明日の列車の乗車券が届いていた。私の泊まっているホテルは、瀋陽北駅の真ん前にある。ハルピンへ行く列車はこの駅を通るのだが、日本時代の「奉天駅」の駅舎が残る瀋陽駅から乗車したかったので、旅行会社には念を押したつもりだった。

ところが、券面を確認すると、「瀋陽北→ハルピン」になっている。現地に旅行会社にすれば、好意のつもりだろうが、私にとっては、これでは「債務不履行」同然である。

日本なら、すぐに「みどりの窓口」に駆け込んで「乗変」するところだが、ここは中国。あきらめることにする。しかし、東京駅を思わせる赤レンガ造りの瀋陽駅は、ぜひ見ておきたい。

明日の出発は早いので、早速タクシーを飛ばして、瀋陽駅を見に行くことにする。これを見なければ、瀋陽に来た意味がない。

鉄道の駅に着くと、私は「水を得た魚」。駅舎を眺めるだけでは飽き足らず、売店で中国語で会話して、最新の「時刻表」も首尾よく仕入れていた。時刻表を「シーコーピャオ」ということは、なぜか知っている。

ついでに、駅近くの郵便局にも立ち寄る。ここも、日本時代の「奉天郵便局」の局舎が、そのまま使われている。「鉄道屋」兼「郵便屋」の私は大いに満足して、タクシーでホテルに戻った。

まだまだ書きたいことはあるが、明日早いのでこのあたりで。いよいよ明日は満鉄に乗れる。次回は、ハルピンよりお伝えします。