ロシア三昧のハルピン

昨夜、日記を書きかけていたが、途中で寝てしまった。以下、昨日の日記。

シェンヤンから列車で6時間半。原野にトドマツ(推測)がそびえる景色にうとうとしながら、旧「満鉄」線を北上(長春以北は旧東清鉄道)。中国最北・黒龍江省のハルピンに降り立った。寒さは一段とグレードアップし、最低気温は−24℃、最高でも−13℃。ハルピンは日本との関係も深く、明治42年に伊藤博文が韓国人テロリスト・安重根に暗殺されたのは、ハルピン駅前である。

日本の前にこの地を支配したのは、ロシア。かつて「ウーリッツァ・キタイスカヤ」(ロシア語で「中国人の街」)と呼ばれた中心部には、今も欧風の建物が残り、「東方のモスクワ」との異名を持つ。ロシア好きの私は、まずそこへ行ってみた。

石畳の通りの両側に、数奇の歴史を経てきた建物が並び、内外のショップが入っている。モスクワのアルバート通りを連想させる。「ロシア製品」、と書いた店に入ってみる。マトリョーシカウォッカ、シャープカ…。私もロシアで買ったような品物が並ぶ。欲しい物もあるが、3月にロシアに行くのに、中国で買うこともあるまい。ただ、マトリョーシカは30元(450円)〜で、ロシアより安い。あるいは、私がロシアでボラれたのかもしれない。

それにしても、中国人の店員は、ロシアの売り子以上にしつこい。中国語はわからん、と意思表示しているのに、中国語で食い下がってくる。当方としてもやむなく、「世界一迫力のある」大阪弁を発動する。
「いらん、ゆうてるやろが!」

キタイスカヤ、もとい中央大街を端まで歩くと、松花江の堤防に出る。昨年末、この川の上流にある中国の企業がベンゼンを垂れ流し、ハルピンの街も数日間断水した。それだけにとどまらず、この川はロシアのアムール川に注いでおり、ロシアのハバロフスクなども断水を余儀なくされた。

国際社会で自らの非を認めたことがない、驕れる大国・中国も、ロシア相手には素直に責任を認めた。だが、この問題は、日本も無関係ではない。最終的には日本海が汚染されるし、今月末にも北海道に押し寄せる流氷は、アムール川の水が凍ったものである(海水ではない!)。国家は、国際法上、「領域使用の管理責任」を負うが、中国のこと、日本に対しては、しゃあしゃあと開き直ってくるに違いない。「外交的配慮」から、事態をうやむやにする日本の外務省の罪も重いが。

ホテルを出てから1時間半。日は暮れ、腹も減った。−20℃にいると、手袋を2枚重ねていても指先の感覚がなくなり、携帯のカメラは機能しなくなる(温めると復活する)。たまらず、小さなロシア料理店に逃げ込んだ。

メニューにはロシア語も付記してあり、ありがたい。ボルシチと、ロシア風ステーキ、龍井茶を注文。店員は中国人だが、落ち着いた女性で、ロシア語も少しわかるようだ。

モスクワかサンクト・ペテルブルクにいると錯覚しそうな豪華な装飾の店内で、1時間ほどゆっくりし、再び冷凍庫の中へ。玉ねぎ型ドームが特徴的な、ロシア正教会建築の旧ソフィスカヤ寺院を経由して、ホテルに戻った。

部屋のテレビは、ロシアのチャンネルが1つ映る。中国語は全くわからないので、少しはわかるロシア放送をずっと見ていた。映画中心にやっていたが、CMのほうがよくわかり、面白い。

翌朝、朝食をとるため階下のレストランに向かっていると、エレベータでロシア人の若者グループと乗り合わせた。
「ウートラ」(おはよう)と、ロシア語で声をかけてみる。少し、驚いたようだった。

それにしても、中国のホテルの朝食ビュフェは、どこか抜けている。コーヒーがなくてホットミルクだけなのはご愛嬌としても(私は服務員を呼び止めてお茶を貰ったが)、ゆで卵があるのに塩胡椒がない、パンはあるがバターはない、といった具合である。ロシア人グループも、服務員に「コーヒーはないの?」と尋ねていたが、服務員が「ニェット」(いいえ)と、ロシア語で返事していたのは、感心した。

ハルピン。ここは今なお、「東方のモスクワ」だ。