満州旅行記・完結編
日本に帰国して3日経ったが、時計の針を戻して、8日、旅順から大連に戻ってきたところから話を始めよう。
中国最後の夜は、やはり中華を食べたい。これまでに、餃子や焼きそば(と表現していいものかはわからないが、少なくとも日本のそれではない)、そして大連のケンタッキーでは「北京ダック」を食べたが、「いかにも中華」というのがいい。
旅順を案内してくれたガイド嬢に、上記の希望を伝えると、ホテル「中山酒店」の中華レストランを紹介してくれた。どうせなら一緒に、と誘おうかと思ったが、そこまでの甲斐性はなかった。
まだ夕食には早いので、地下街の露店で、高血圧などに効くという「一葉茶」(その苦味ゆえに、「苦丁茶」とも呼ばれる)を物色。ぜひ買いたかったジャスミン茶は、旅順からの帰路に、私の希望で立ち寄ったお茶屋さんで、ガイドと一緒に「利き茶」して購入したが、一葉茶は値段も高く、普通に飲むには苦すぎて、そんなにはいらないので、街中で探すことにしたのだった。
店主らしいおっさんに、「一葉茶はある?」と、日本語で尋ねる。日本人客が多いのか、この店主は日本語ができた。おっさんは、「この日本人、なかなかツウだな」という顔をして、店の奥から缶を取り出してきた。それもそのはず。私も、旅順のガイドに聞くまで、一葉茶なんて、聞いたこともなかった。
「いくら?」と尋ねると、缶に張ってあるシールを指差す。50グラム38元(570円)、とある。中国でモノを買う場合、売り手の言い値では、絶対に買ってはいけない。値切るのが、当たり前のようになっている。値切らないと、買い手は「高かったかな」と思うし、売り手にしても、「もっと高くすればよかった」と、双方が後悔することになる。
「100グラム50元でどう?」と、臆せず提案する。店主は、奥さんらしいおばさんの顔色を窺ってから、「OK」と言った。売買契約成立。奥さんが経理部長なのは、日中共通だ。
茶葉をかばんにしまい、その足で、ホテル「中山酒店」のレストランへ。メニューに目を通すと、日本でもおなじみのふかひれスープから、チャーハンまで、あらゆる料理が並んでいる。
とりあえず、青島ビールと、前菜に、魚のから揚げのたれ漬け(?)を注文。「ビールは、冷やしたものか常温か、どちらがいいか?」と尋ねてくるあたり、さすが中国だ。日本人にとって、ぬるいビールなど、飲めたものではないが、中国では伝統的に、ビールは冷やさないで飲む。郷に入っては郷に従え、とはいっても、これは真似したくない。冷えたほうを注文する。
ビールを飲んで、魚をつまみながら、メインを考える。スープは、ふかひれは高いので断念。日本でもよくある「本日のスープ」的なものにしたら、しめじ・まいたけが山のように入っているのはいいが、おそろしく味がなく、ほとんど残した。
メインには、鶏肉のピリ辛揚げを注文。ちなみに、料理の名称は、漢字の羅列から推測したものである。
ところが、これが「???」だった。メニューには、確かに「鶏」と書いてあるのに、ぶつ切りにされたその肉は、サソリかザリガニか、とにかく甲殻類にしか見えない。半信半疑で食べてみると、バリッという食感がある。いくら強火で揚げても、鶏肉がこうなるとは思えない。
口から火が出るほど辛いのが期待通りだっただけに、悲しくなる。
2、3口食べただけで断念し、開き直ってチャーハンを注文。味はまあまあだったが、3人前はあろうかという量で(何人かで取り分けるのを想定しているのだから当たり前だが)、全部は食べきれない。結局、前菜の魚が、一番うまかった。
最後に、烏龍茶を貰う。あとから知ったが、これがスープの2倍の値段。これだけ食い散らして、合計80元(1200円)であった。
酔い覚ましに、中山広場まで散歩してから、ホテルに戻った。部屋でくつろいでいると、電話が鳴った。きたな、と思う。
大連で、中国のホテルは4軒目だが、決まって、夜になると電話がかかってくる。用件は、「マッサージいかがですか」というものだが、額面通り受け取ってはいけない。長春のホテルなど、断って電話を切ろうとすると、"The girl's beautiful."と、追い討ちをかけられた。
一人で淋しく過ごすよりは、相手をしてほしい気はある。が、女の子一人ならともかく、背後に何がついているかわからない怖さがある。それに、中国の刑法では、売春行為は、客のほうも処罰されるらしい(「両罰規定」という)。一夜の快楽のために、逮捕などされてはかなわない。
結局、この夜も、一人で眠りについた。
翌朝(9日)。きょうは、13時発の飛行機で、日本に帰る。チェックイン開始は11時30分から。空港まではタクシーで30分ほどだから、朝食を早く済ませれば、少し時間がある。最後に、とっておきの場所を残しておいたので、そこへ向かう。
大連の中心・中山広場から南東に数分歩いたところに、それはあった。旧南満州鉄道の本社ビル(写真)である。現在は、「大連鉄道有限公司」本社として使われている。満鉄本社の前を、日本時代そのままの路面電車が走る光景は、60年、いや70年前と、何も変わらないはずだ。
旅の最後に、オールドタイマーの路面電車(運賃は1元均一)に、中国人民とともに揺られ、大連駅前のホテルに戻った。もう、やり残したことはない。ホテルの前でタクシーをつかまえ、「エアポート」と言うと、こんな英語、というより単語すら通じない。急いで、メモを取り出し、「机場」(←「机」は、繁体字の「機」)と書く。運転手は、大きく頷いた。
中国の空港は一風変わっていて、チェックインカウンターの手前に、検疫・税関と手荷物検査がある。とくに検疫は、3年前のSARS騒動以来、出発旅客にも質問票を提出させる念の入り用である。それらを通過し、JALのカウンターに進む。
航空券を提示すると、地上係員が、
「本日、エコノミークラスが満席となっておりますので、ビジネスクラスのお席をお使いください」
と、言う。
JRの列車の指定席は、コンピュータのミスで二重発券されることが、ごくまれにあるが、故意に、座席数以上に販売することはない。一方、航空業界では、ある程度のキャンセルが出ることを見込んで、実際の座席数以上の予約を受け付ける(「オーバーブッキング」という)。実際に飛行機を飛ばす段階で、ちょうど満席になるようにするのが、営業担当者の腕の見せ所なのだが、キャンセルが予測したほど出ず、定員をオーバーしてしまうことがある。
このとき、あふれた旅客を他社便に振り替えたりすることもあるが、同じ便の上位クラスに空席がある場合は、そちらに回すという、乗客にとってはラッキーな取り扱いがなされる。これを、「インボランタリー・アップグレード」と呼んでいる。それにしても、"involuntary"(不本意な、いやいやの)とは、航空会社の本音をよく表している。
エコノミーの旅客のうち、誰をアップグレードするかは航空会社の裁量だが、予約クラス(「予約クラス」という概念については、http://d.hatena.ne.jp/stationmaster/20051213/1134455335など参照)の高い旅客や、グループよりは個人の客が優先される。地上係員による「見た目」の判断もあるらしいので、帰国する日くらいは、あまり汚い恰好はしないほうがよい。
ところで、今回、私が持っている航空券は、マイレージ特典の無料航空券。「タダ券」だから、優先順位は低いのでは、と思われるかもしれないが、JALの場合、特典航空券の予約クラスは「Y」で、これは、エコノミークラスの無割引のノーマル運賃と同じ、最高クラスなのだ。
かくして、初めてのビジネスクラス(JALでは「エグゼクティブクラス」と呼ぶ)を体験。機内食の時には、テーブルにテーブルクロスがかけられることなど、初めて知った。
ゆったりしたエグゼクティブクラスに流れる時間は、心なしかいつもより早く、16時40分、成田国際空港にタッチダウン。パスポートに、入国審査官から「帰国」のスタンプを受ける。この瞬間のほっとする気持ちは、昔も今も変わらない。あとは、「母港」の伊丹に、もう1レグ飛ぶだけだ。私は、旅の余韻を引きずりながら、国内線カウンターに向かった。