二つの「無罪」判決が語るもの

わが国の刑事裁判の有罪率は「99.8%」。聞いたことがある人は多いだろう。これはなにも、裁判所が検察の言いなりということでは決してない。検察庁は、「確実に」有罪判決を勝ち取れる見込みのある事件しか、そもそも起訴しないからで、数字だけをことさら採り上げるのは誤解を招く。

そんな日本で、先週から、注目すべき二件の「無罪」判決が相次いで出された。といっても、30日に東京地裁で判決(無罪)のあった村岡兼造官房長官の事件ではない。

20日東京地裁であった「JALニアミス事故」と、28日に同じく東京地裁であった「割り箸死亡事故」である。

事件の概要を説明する。JALニアミス事故とは、平成13年1月、静岡県駿河湾上空で、釜山ゆきJL907便と羽田ゆきJL958便が、対向してほぼ同じ高度にさしかかった。直ちに、2機の空中衝突防止装置(TCAS)が作動、釜山ゆき907便には「上昇」を、羽田ゆき958便には「降下」を指示した(TCASの指示を、以下「RA」という)。

ここで、起訴された管制官は、958便に降下を指示しようとして(これなら、RAと同じである)、誤って「907便」に呼びかけてしまう。907便にしてみれば、RAは「上昇」、管制指示は「降下」で、相反する命令を受けたことになる。

当時、RAと管制の指示が食い違ったときに、どちらに従うべきかという明文のルールはなかった。しかし、パイロットにとって、地上の管制の指示は「絶対」である。907便の機長は、管制に従い、「降下」を選択した。

一方、958便のほうも、RAに従って「降下」している。ここで、907便が異常事態に気づき、接近してくる958便を避けるため、さらに操縦桿を押し込み、文字通り急降下した。これにより、客室内で怪我人が多数出た、という業務上過失致傷被告事件である。

この「事件」の初動捜査をめぐっては、航空法上、機長が絶対的な管理権を有する航空機内に、令状も持たない警察官が「侵入」してきたことなど、指摘したいことは山ほどあるのだが、それらはひとまずおく。検察段階で、両便の機長の操縦には「過失」なしと判断され、不起訴、言い間違いという決定的なミスを犯した管制官(2名)が、起訴された。

しかし、私のブログの賢明な読者ならばすでにおわかりのように、そんなものは「後付け」である。たしかに、言い間違いは、言い逃れのできないミスかもしれない。だが、それは、誰にでもあることである。誰かに刑事責任を押し付けようとする「犯人探し」に、積極的意義は全くないことは、ここで繰り返し指摘してきた。

http://d.hatena.ne.jp/stationmaster/20051226/1135618244
http://d.hatena.ne.jp/stationmaster/20060124/1138104957
など参照

関係者を刑事訴追の恐れから解き放って、洗いざらい真実を話してもらい、どうすれば同種事故の再発を防げるかを考えるほうが、よほど大事である。刑事裁判は、事案の真相解明にとって、ときに「有害」でもある。専門的判断の絡む過失犯は、非刑事化のみちを探るべきだろう。

東京地裁は、「管制官の過失(便名を取り違えた指示)と、乗客の負傷という結果との間に因果関係がない」と判断して、無罪を言い渡した。上で述べたこととはニュアンスは異なれど、評価すべき結論である。

もう一つ。「割り箸死亡事故」とは、平成11年、綿菓子を食べていた当時4歳の幼児が転倒し、割り箸が喉に突き刺さった。救急車で病院に運ばれたが、まだ若い医師は、母親に「どうしたの?」と問うただけで、CTスキャンなどは実施しなかった。そのまま帰宅させたところ、幼児は急変して死亡する。割り箸は、脳にまで達していたのだった。医師は、適切な治療をしなかったということで、不作為の業務上過失致死罪で起訴された。

この話だけ聞くと、いかにも「いい加減」な医師に聞こえる。確かに、CTスキャンなど精密検査をすべきだった、というのは、疑いようもない正論である。しかし、それは、医師に「無限の救命義務」を課すものになってはいないだろうか。医師にだって、ときには判断に迷うこともあろう。結果だけから責めたてるのを許せば、不可避的にリスクを伴うあらゆる治療行為ができなくなってしまい、医学の進歩にとってもマイナスである。

東京地裁は、「割り箸が脳に達している時点で救命可能性は低く、医師の過失と死亡との間に因果関係はない」と、ニアミス事故と同様の判断枠組み(因果関係を否定)で、医師に無罪を言い渡した。

現行の刑事司法制度の下では、航空事故も医療過誤も、単純な交通事故などと変わらない「業務上過失」としてとらえられる。そのなかで、「無罪」の結論を導くためには、「因果関係なし」という刑法上の議論をするしかなかったのだろうが、より根底には、そもそもこうした事案を刑事裁判に持ち込むことへの「疑念」があるのではないか。

一週間で二件続いた「無罪」判決。いま一度、考え直す好機である。