あの頃に、会いに行こう。

今日は、1限から授業だった。といっても、大学の、ではなく、母校の。

なにゆえ母校で授業? と思われるだろうが、正確には、「授業のお手伝い」。土曜日は、中1の英語の「会話」クラス(正規の時間外のメニュー)で、BINGOゲームやアルファベット・シャッフルゲームなどをするのだが、なにしろ、ついこの間まで小学生だった生徒たち。担当の先生一人では、なかなか「制御」が大変ということで、我々OBがボランティアに行っている。

それにしても、職員室で、他の先生方に「駅長、今日は何しに?」と尋ねられて、
「中1の英語のお手伝いです!」
「あぁ、そうか。ご苦労さん」
…これで通じる学校も、珍しいとは思う。

私が学部3回生の時は、この「特別授業」の設定がもっと多くて、ほとんど毎週のように母校に「通って」いたから、食堂のおばちゃん(私の現役時代から変わっていない)に、「教育実習?」と聞かれたりした。スーツでなく、私服の教育実習生はいまいが。

大学よりも早い、8時40分授業開始の1限はきついが、現役時代は、毎朝6時06分に家を出て、7時35分に教室に「一番乗り」していたことを思うと、物の数ではない。

今日「ボランティア」に来ていたのは、私のほか、同期一人と、3つ下の後輩一人。初対面の後輩君は、本学の教育学部で「英語の教育法」を研究しているというから、「本物」だ。

教室に入って、11歳も年下になってしまった中1君相手に、自己紹介。とりあえず自分が何者かを適当に話して、「何か質問ありますか?」と聞くと、毎年のように、決まって
「彼女いますか?」
という質問をされ(て、冷汗をかい)たのに、今年の中1は、3クラス回ったが、その質問はゼロ。学年ごと、クラスごとに、やはり「カラー」がある。

単調な毎日に、こういうイベントは楽しい(授業の名前も"Fun English Class")。独特の音色のチャイム、授業前後の「黙想」など、当然大学にはないから、たまらなく懐かしい。

授業後、先生やOB一同、食堂で昼食をとっていると、同期初で母校の「教師」になったK君と会う。この春まで同じキャンパスにいたのに、ネクタイを締めたその姿は、すっかり「先生」で、カッコいい。

図書館で、今年の卒業生の卒業アルバムをチェック。元アルバム委員(そして、なぜかロースクールでもアルバム委員…)として、出来映えは非常に気になる。我々の発案で、当時としては初めての企画をいくつか採り入れたので、それが継承されていたりすると嬉しい。正直に、「ここは負けたな」と思うところもある。

恒例の寄せ書きコーナーには、「ブッシュ、金閣寺に来る」などに混じって、「洛星の授業料 年間100万円 食堂で食べたカレー 280円 洛星で過ごした日々 priceless」とある。なかなかうまい。高3の時、苦手だった数学で、「目から鱗」の授業をしてくださり、私を京大に入れてくれたT先生は、「『進歩』よりも『進化』を目指して…」と、意味深なコメント。

母校というのは、やはりいいものである。