差別―考えたことがありますか?

mixiのほうには日記をつけていたのだが、長らくブログのほうをさぼってしまった。昨日は、人生初めて「合コン」に参加したりして、戦績はともかく、それなりに楽しかった。

それはともかくとして、書くべきかどうか迷ったが、今日は「差別」について論じてみたいと思う。

いま、私が住んでいる尼崎は、京阪神では京都と並んで、いわゆる「同和問題」が現在まで尾を引いている地域の一つである。同和地区とは、いうまでもなく、江戸時代の被差別集落の名残であり、なんら「合理的理由」はなく、差別は許されない、とされる。

だが、それは「建て前」である。社会的差別は厳然として残っている。その話を紹介したい。

先日紹介した、パイロット志望のわが弟(大学4回生)は、尼崎市内の某所にあるガソリンスタンドで、アルバイトをしている。そのガソリンスタンドに、新しく社員が配属されてきた。

どこの職場でもそうするように、新入社員には、古株の社員が、その店で留意すべきことを教えるのだが、その中で、こう言っていたらしい。

「この店の近くには、○○という、関西でも有数の『部落』があります。お客様の質は、決してよいとは言えません。お客様からの暴力、破壊行為があった場合は、躊躇わずに110番するようにしてください」
(注、具体的地名は伏せた)

後段の内容は当然だが、私はこの話を聞いた時、「変わらないな」と、思った。

いくら、行政が、「まだ残る 差別を断ち切る 主役はあなた」「同和問題の解決は、市民一人一人の課題です」などというキャンペーンを展開しても、人々の心に根ざした社会的差別は、そうそう簡単にはなくならない。「差別のない明るい社会」など、幻想である。

海外によく行かれる方なら、一度や二度は嫌な経験があると思うが、「黄色人種」の日本人は、差別されないわけがない。例えば、ロシアでは、白人はフリーパスのところ、私は何度か呼び止められ、パスポートチェックを受けた(所持品検査に至ったことも一度ある)。ちなみにロシアでは、係官が賄賂を要求してくることがあるので、ロシア語はわかっても使わないほうがいい、とされるが、私の場合は、ロシア語で応答すると、警官の対応が穏やかになったから、ケース・バイ・ケースだろう。

話が逸れたが、では、ガソリンスタンド店員のこのような発言は、許されないことだろうか。

確かに、同じことを公務員が言ったとすれば別問題だが、誤解を恐れずあえて言えば、一概に、ケシカランとは言えないと思う。というのも、客観的なデータとして、弟が勤務する店は、お客様のトラブル等による「110番要請件数」が、突出して多いのだ。

「差別はいけない」と、言うのは容易い。法学部生なら、憲法14条(法の下の平等)の「論証パターン」は、暗唱できると思う。しかし、あえて問いたい。

「差別と、真剣に向き合ったことはありますか?」

このことを考え抜いた末に、たどり着いた私の結論。

「差別は、人間が社会的生き物である限り、絶対になくならない」