また「謝罪」…

重いニュースだが、書かねばならない。

政府は、今日の閣議で、過去の植民地支配などを謝罪した平成7年の村山富市首相(当時)の談話について「認識に何ら変わりはない」とする答弁書を決定した。民主党長妻昭衆院議員の質問主意書への回答。

まず、私の基本的な認識から開陳しておくと、この国を焼け野原にし、無辜の国民を大いに苦しめた大東亜戦争は、なんら戦略のない「無謀」極まる戦いであり、為政者の戦争責任は厳しく問われねばならないと考えている(ただし、そのことと、対外関係において「処罰」することとは別)。いうまでもなく、日本は、アメリカ合衆国に本気で勝てると思って戦争を始めたのではなく、立ち上がりで米国を圧倒し、米国内に厭戦ムードを広め、やられる前に講和する、というのが、唯一の「戦略」といえば戦略だった。

そして、しばしば、「軍部が暴走した」といわれる。たしかに、昭和6年満州事変は関東軍の暴走だったが、昭和12年、北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突した時は、前線ではいったん休戦が成立していた。ところが、ズルズルと日中戦争の泥沼にはまり込んだのは、ときの近衛首相ら官邸サイド(すなわち、政治)の無為無策による。

始めなくてもよい戦争を始め、アジアの国々に迷惑をかけたことは、日本人として反省すべきだが、そのことと、「植民地支配」とは別である。日本は、欧米列強と違い、海外領土を武力で獲得したわけではない(専門的になるので省略するが、戦前の日本の「植民地」は、厳密には「植民地」ではない。そこで、以下、「外地」という)。日韓併合国際法上「合法」であったというのが、今日の通説である(韓国の学者を除く)。

しばしば「創氏改名」などが批判されるが、わが国の外地統治は、外地の人々を日本内地に準じた地位で扱った、世界でもまれなケースである。英国は、インド人を決して英国人とはみなさなかった。アフリカの植民地では、「人間」とみなされたかどうかすら、あやしい。

わが国は、外地の人々も分け隔てなく教育し、インフラを整備し、独立後の発展の礎を築いた。

感謝しろ、などと言うつもりはないが、日本が「植民地支配を謝罪」しなければならない理由は、何一つない。「謝罪派」にお尋ねするが、英国は、インド・ビルマミャンマー)・ケニア・ナイジェリアに謝罪したか?フランスは、ベトナムアルジェリアコートジボワール象牙海岸)に謝罪したか?ポルトガルは、アンゴラモザンビークに謝罪したか?

戦前を十把一絡げに「悪」と決め付け、目を背けている限り、未来への展望は開けない。