美しい国へ

自民党の総裁選挙を明後日に控え、安倍さんの次期総理就任は確実な情勢だが、あらかじめ、旗幟を鮮明にしておく。拉致問題等に関しての外交姿勢、歴史認識に共感できることから、私は安倍さんを支持している。

もっとも、選挙戦略上は、来年の参院選での自民党苦戦は必至なので(来年改選されるのは、「小泉フィーバー」の平成13年選出の議員。改選議席の維持はただでさえ困難であるうえに、昨年の「郵政総選挙」での自民圧勝の反動が予想される)、ここはいったん、党内の信頼も厚い福田康夫さんに「中継ぎ」を務めていただき、「左ぶれ」するであろう外交の失策(靖国参拝しない、と明言したところで、中韓は新たなカードを切ってくるだけ)と選挙敗北の責任をとって総辞職、そこで満を持して安倍さん登場、となるのがベストだった(いわゆる「安倍温存論」)。ところが賢明にも、福田さんは早々に総裁選不出馬を表明され、谷垣財務大臣が「左」の受け皿となってはいるものの、それに見合う器ではない。

ここにきて、「安倍首相」の誕生に危機感を募らせる左翼のキャンペーンは、常軌を逸している。その筆頭・「朝日新聞」の例を紹介しよう。

9月2日付「天声人語」は、次のように論じた。

新刊の著書の題を「美しい国へ」とし、立候補の記者会見では「美しい国日本」を繰り返す。安倍官房長官は、どうしても「美しい国」を自民党総裁選のキャッチフレーズにしたいようだ。

「美しい」という言葉は耳に響きがいいし、反対も唱えにくい。「美しい国へ」と言うからには、今の日本には美しくないところがあると考えているのだろう。

確かに現実の社会は生やさしいものではないから、美しくないところもある。その美しくない点は何なのかを明示し、どう美しくしてゆくのかが具体的に示されないと、「美しい」という言葉は空虚に響く。
(以下略)

失礼ながら、「天声人語」氏は、安倍さんの著書「美しい国へ」を読んだことすらないのに、イメージだけで批判しているようだ。新聞記者として、物書きとして、あるまじき姿勢である。私は、「美しい国へ」を通読したが、非常にわかりやすく、かつ、具体的に政策が語られている。日米安保に始まる外交政策、「絶対に破綻しない」という年金制度の説明、万死に値する文科省の失策・「ゆとり教育」で崩壊した教育再生への取り組み…。いずれも、共感できる点が多かった。

美しい国へ」は、決して、空虚で、観念的な精神論を綴ったものではない。それだけで、200ページ以上の紙面が埋まるはずがないのに、読んだことのない「天声人語」氏には、そういうこともわからないらしい。

トンチンカンな「天声人語」に代わって、私が「美しい国へ」を紹介しておくと、本文中に「美しい」という言葉は、1回しか出てこない。それも、最後の最後に。その部分を、引用する。

 わたしたちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化をもつ国だ。そして、まだまだ大いなる可能性を秘めている。この可能性を引きだすことができるのは、わたしたちの勇気と英知と努力だと思う。日本人であることを卑下するより、誇りに思い、未来を切り拓くために汗を流すべきではないだろうか。
 日本の欠点を語ることに生きがいを求めるのではなく、日本の明日のために何をなすべきかを語り合おうではないか。

いかがであろうか。「天声人語」氏の疑問に強いて答えるなら、「今の日本」の「美しくないところ」とは、中韓の思想を大声で代弁する「朝日新聞」のような国賊的報道機関が存在すること、に他ならない。

このように、笑止千万な偏向主張を垂れ流す「朝日新聞」なのだが、9月11日付のファッション記事には、度肝を抜かれた方が多いことだろう。以下、引用する。

メンズウエアの胸元に、ワンポイントマークが復活している。かつては中年男性のゴルフ用ポロシャツに、必ずついていた傘や熊などのマーク。それが今、おしゃれな装飾としてさまざまな形に進化している。パリ、ミラノの07年春夏メンズコレクションでも、主要ブランドは軒並みワッペンや刺繍(ししゅう)によるマークを強調していた。
復活したワンポイントマークは、ブランドのロゴとは限らない。オリジナルのエンブレム(紋章)を大きくスポーツシャツに刺繍したドルチェ&ガッバーナも、これがブランドの正式紋章というわけではない。あくまでトレンドの「スポーツ気分」を、今風に表現しただけだ。あえて巨大化させたマークには、ジョークのニュアンスも感じられるが、慣れてくると何も装飾のない服のほうが、物足りなく思えてくる。

ボッテガ・ヴェネタも大きな数字をニットカーディガンの胸元に縫いつけた。こちらは60〜70年代に流行した、頭文字や数字のマーク入りが特徴の「レターニット」をほうふつさせる。

一方、ジャケットの胸にワッペンをつけ、「クラブブレザー」風に見せたのはエンポリオ・アルマーニ。コレクションのテーマも「メンバーズクラブ」。限られた会員によるスポーツクラブでの装い、といった上品さが漂う。

もともと胸にマークをつけるやり方は、60年代半ばから80年代半ばまでが全盛期。やはり大きめのエンブレムを強調したバレンシアガのジャケットを見ても、当時長くメンズファッションの主流を占めていた「アイビー」や「トラッド」を連想させる。

ジュンヤ・ワタナベラコステとのコラボレーションで、カラフルなポロシャツを発表。「きれいめデニム」と合わせた姿は、「ちょいワル」というより「おりこうサン」だ。

変わりダネは、ハワイをテーマに、ハイビスカスとモノグラムの花柄を合体させた、ルイ・ヴィトンの男性用コサージュ。おさえておくべき流行を、誰よりも進化させた形で見せた。

アレキサンダー・マックイーンの、胸元を飾る花の刺繍や、自社のロゴマークの三角印をポケットのふたにしたプラダも面白い。

それにしても、マークやエンブレムは本来、軍隊や国家、学校や会社など、何かに帰属することを表す。今、若い女性には「愛されOL」系のモデル、エビちゃん蛯原友里)が人気だが、これからは男性にとっての理想像も「さわやか正社員」系になるのかもしれない。そういえば、自らの国家や民族に固執する右翼系の若者が世界的に増えているという事実も、多少気になるところだが。

この記事は、「文化・芸能」面にあり、内容も純然たるファッションに関するものだ。「そういえば、自らの国家や民族に固執する右翼系の若者が世界的に増えているという事実も、多少気になるところだが。」という、最後の一文を除いては。

論理展開上、最後の一文はまったく無用というほかなく、ただ、この記事を書いた記者の自己満足にすぎない。本来であれば、デスク校閲で削られて当然なのだが、「朝日新聞」の見識を疑わざるをえない。これが、「ジャーナリスト宣言。」などと、反論しにくいイメージ戦略で、国民を洗脳しようとしている「朝日新聞」の恐るべき実態である。最後に、「朝日」にお返ししておこう。

そういえば、他の国家や民族に固執する左翼系の記者が朝日新聞内に増えているという事実も、多少気になるところだが。