重き高校の罪

富山県の高岡南高校に端を発する「必修科目未履修」騒動は、全国規模で相次いで発覚し、日本中の全高等学校の7%にあたる286校が係わっていたことがわかった(ただし、兵庫県はなおも調査中)。

そもそも論をいえば、わが国の高校の地歴科で、どうして「日本史」でなく「世界史」が必修なのか、という根本的疑問はあるが(伊吹文科相も同旨)、指導要領で必修とされている科目を履修させないなどという、明白なルール違反への言い訳とならないことは、当然である。

本件をめぐっては、教育現場からさまざまな声が上がっている。深刻なのは、受験シーズン到来を前に、70時間もの補講を受けさせられる高校3年生たちだ。突然の境遇に同情はするが、原則としては、授業を受けて単位を取得してもらうのが筋だろう。ただ、レポート提出などで評価できるのであれば、代替措置も検討されてよい(事案は異なるが、いわゆる「エホバの証人」の信者である生徒が、教義上の理由で必修の体育の授業を拒否した「神戸高専剣道実技拒否事件」の最高裁平成8年3月8日判決・民集50巻3号469頁参照)。

一方、許せないのは、学校側の対応である。「受験対策をしたかった」「よかれと思ってやった」などと、見苦しい言い訳ばかりで、国が定めた指導要領違反を犯したことへの反省は、全く聞かれない。率先してルール違反を敢行し、発覚した後も弁解に終始する校長先生各位に、これまでどんな顔して生徒指導をしてこられたのか、ぜひ伺いたいところだ。

さらに、岩手県などでは、県教委も共謀のうえ、履修していない科目に成績を付けるなど、「内申書」に虚偽の記載をしていたこともわかっている。これなどは、「虚偽公文書作成罪」(刑法156条。1年以上10年以下の懲役)に該当する。進学実績を上げたいなどという身勝手な理由で指導要領に違反したうえ、その不正を隠蔽する目的で、内容虚偽の内申書を作成するという犯行の動機に酌量の余地は全くなく、規範意識は著しく鈍磨しているといわざるをえない。もはや、校長先生の首が飛んで済むような事態ではないのである。

不正に関与した教員を厳しく処罰してこそ、災禍に巻き込まれた高校生たちも、姑息なルール違反などしない立派な大人に育つことだろう。