暗殺―危険な魅惑―

旧KGB本部


「暗殺」という響きに、不思議な魅力を感じるのは、私だけだろうか。もちろん、人を殺すのは犯罪であり、法治国家においては許されるものではない。だが、行為者の信念といってもよい強烈な意志ゆえだろうか、どこか倒錯した神々しさのようなものを覚えるのである。

紀元前のマケドニア王フィリポス2世の暗殺以来、「世界史」は、すなわち「暗殺」の歴史といっても過言ではない。「大化の改新」も、「本能寺の変」も、「暗殺」が歴史を動かしてきた。近現代では、日本政府筋の人間が関与したとされる、李氏朝鮮の王妃・閔妃暗殺(1895年)に至るドラマは、不謹慎ながら、エンターテインメントとしても一級である(フィクション小説として読むべきだが、角田房子『閔妃暗殺』を薦める)。

ところで、ここ数日、スパイ映画を見ているような動きが報じられている。ご存知の方も多いだろうが、今月初め、ロンドンで一件の殺人未遂事件が発生した。

被害者は、ロシア人のアレクサンドル・リトビネンコ氏(43歳)。リ氏は、かつて、ロシア連邦国家保安局(FSB)に勤務していたが、プーチン政権に批判的で、2000年に英国に亡命を申請していた。

この間、CIS(独立国家共同体)諸国では、奇妙な事件が相次ぐ。2004年、ウクライナの大統領選挙最中、親米・反露路線を掲げるユーシェンコ候補(現大統領)が、顔一面の発疹という中毒症状を示し、倒れた。

先月には、プーチン政権の対チェチェン政策を批判してきた女性ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤ氏が、モスクワ市内のアパートのエレベータ内で、何者かに射殺された。

ポリトコフスカヤ記者暗殺に、ロシア政府の情報機関(すなわち、FSB)が関与していると睨んだリ氏は、調査を始める。時を同じくして、英国政府は、6年間「たな晒し」にしていたリ氏の亡命申請を認容している。これは、偶然だろうか。

今月1日、リ氏は、ロンドン市内の日本料理店(近年、ロンドンで人気のいわゆる「すしバー」)で、「マリオ」と名乗るイタリアの情報当局者と会食し、ポリトコフスカヤ記者暗殺に関わったとされるFSB職員のリストを受け取ったが、この直後、突然、体調を崩す。リ氏は現在も入院中だが、骨髄不全で白血球がゼロに近い重体という。毒物は特定されていないが、体内で分解され、証拠が残らない「放射線タリウム」の可能性が浮上している。

「ロシア」絡みの人間が、これだけ相次いで倒れるのは「偶然」ではないとみたスコットランド・ヤードロンドン警視庁)は、精鋭のテロ対策チームを投入、本格捜査に乗り出し、リ氏が、上記会食の直前、あるホテルのロビーで、ロシア当局者と紅茶を飲んでいた事実を突き止めた―。

ちなみに、写真は、モスクワ都心・「ルビャンカ広場」に面して建つ旧KGB本部ビルである(今年3月、Vodafone 802SH移動機で撮影)。若き日のウラジーミル・プーチンロシア連邦大統領も、ここに勤務した。ここから、プーチン大統領が現在執務する「クレムリン」までは、徒歩10分とかからない。