夕張哀歌

若い人に、夕張、と聞いて連想するものは、と問えば、答えは間違いなく「メロン」であろう。もっとも、これなどはまだよいほうで、「夕張」が北海道の町ということも、知らない人が多いかもしれない。

私も「若い人」ではあるが、連想するのは「石炭」を置いて他にない。旧国鉄で最後まで蒸気機関車が活躍したのは、夕張の炭鉱から石炭を運び出す貨物列車だった(昭和50年12月、夕張線無煙化。一時期、国鉄全線から蒸気機関車は姿を消したが、昭和53年、山口線で観光用に復活)。

日本の高度成長を支えた夕張炭鉱だが、閉山後、過疎化は急激に進行し、今では65歳以上のお年寄りが人口の4割超という、全国で最も高齢化が進んだ町となっている。その夕張市が、財政再建団体に転落した。

夕張市は、職員数半減・福祉事業の廃止・小中学校の統合(それぞれ1校に統合)など、行政サービスを極限まで切り詰める一方、地方税を法定最高水準まで引き上げ、再建を進める方針だが、市民からは「これでは暮らしてゆけない」という悲鳴が上がっている。切実な声である。

住民の叫びに対し、夕張市を「指導」する立場の総務省は、「厳しいことも必要」などと、つれない。しかし、夕張市財政破綻には、総務省(旧自治省)に責任がないではない。それどころか、かなり重大である。

バブル期、国は、「リゾート法」(総合保養地域整備法)という天下の悪法を用意し、大同小異のくだらぬ施設を全国に造らせ、それによって、雇用創出などの地域振興を図る政策をとった。夕張市でも、例に漏れず、松下グループが「Mt.レースイ」というスキーリゾートを開発した。バブル崩壊後、これらのリゾート施設が辿った運命は、あえて言うまでもないであろう。「宴のあと」に残ったのは、破壊された自然と、膨大な債務だけであった。

この無為無策事業を、間接的にせよ管轄したのは、他でもない、地方交付税を所管する旧自治省総務省)である。言葉は悪いが、田舎の役人に、都会的な経営センスなどあるはずもなく、国は、後見的立場から助言する責務があったのだが、誰もかれもが、バブリーな「邯鄲の夢」に踊ったのだった。

ここ20年の間に、JR夕張駅は、二度も引越している。その度に、レールがはがされ、「夕張線」(現在は石勝線に編入)は短くなった。一度目は、昭和60年、町外れの夕張炭鉱跡から、市内中心部へ移転。旧駅は、広い貨物ヤードを擁する大きな駅だったが、駅舎もない無人駅になった。二度目は、平成2年、例の「Mt.レースイ」へのアクセス新駅の設置が検討されたが、上り勾配の途中で、いったん停車してしまうと、力の弱い気動車では、力行が難しい。それなら、そこを終点にしてしまえ、となったのが、現在の第3次夕張駅である。

夕張市の再建案では、赤字続きの「Mt.レースイ」の閉鎖も検討されている。栄光ある「夕張駅」が、「スキーリゾート前駅」に落ちぶれたのも淋しいが、今や、それすらなくなろうとしている。

なお、下記も参照されたい。
http://www33.ocn.ne.jp/~noritax_world/shomei0610/shomei0610.html