さようなら、「眉毛師」さん

「眉毛師」さん、と私が呼ぶ彼女に出会ったのは、4年近くも前になる。

いつもの美容室で、髪は年上の「お姉さま」スタイリスト(年齢は伏せておく)に切ってもらうが、眉カットを、私より一つ年下の彼女にお願いしている。私との関わりは眉カットだけなので、「眉毛師」さん、と命名したところ、彼女も気に入っていた。

彼女は、昨年、「美容師」(スタイリスト)に昇格し、女性のカットを担当するようになった。だが、私にとっては、ずっと「眉毛師」さんだった。正直に言えば、カットも彼女に担当してほしい気持ちはあったが、「お姉さま」に悪く思われるのでは、と余計な心配をして、なかなか言い出せなかったのである。

昨年の暮れ、「お姉さま」は私の髪を切りながら、こう言った。
「Tさん(「眉毛師」さんのこと)も上達してきたので、次回、Tさんに切ってもらいますか?」

願ってもない提案だ。私は、喜びが顔に出ようとするのを抑えながら、「いいですね」と、返事した。

これまで、「眉毛師」さんとは、毎回10分くらいの短い付き合いだったが、不思議と話しやすく、JRの就活をしていた時は、就職か進学かで悩む気持ちもぶつけたし、恋愛の相談をしたこともある。彼女も、故郷(佐賀県)や高校時代のことなど、いろいろ話してくれた。昨年末には、帰省を飛行機にするか新幹線にするかで迷っておられたので、「『ひかりレールスター』はいかがですか」とセールスし、「エクスプレス予約」の会員価格で、チケットを手配したりもした。

そして、きょう。彼女に髪を切ってもらいながら、たっぷり話した。お店は空いていて、何度か、彼女の鋏が止まることもあった。少しして、彼女がぽつりと呟いた。

「stationmasterさんを担当できるの、あと1回だけかもしれません」

予想外の一言に、私は、言葉を発せず、鏡の中の彼女に向かって、続きを促した。

「…実は、前から決めてたんです。美容師の資格取ったら、地元に帰ろう、って。それで、3月でお店を辞めることにしました」

私は、「そっか」と答えるのがやっとだった。なぜだかわからないが、自分でも驚くくらい、ショックを受けていた。

「…淋しくなりますね」

しんみりした雰囲気で、彼女は、こう続けた。
「いまのお店にいると、普段忙しくて、なかなか自分の時間がとれなくって…。美容師は続けるつもりですけど、しばらく現場を離れて、好きなことに時間を使おうと思います」

私は、黙って聞いていた。彼女は、今年24歳だが、高校卒業後、第一線で働いてきたのだ。私が、「大学生」というモラトリアムを享受している間、ずっと。九州の田舎から関西に出てきて、苦労も多かったことだろう。「少し、立ち止まってみたい―」。彼女の気持ち、むべなるかな。

「そうしたら、最後の日には、とびきりの餞別を用意しますよ」
と、私は言った。

「いいですよ、そんなの」。
彼女は、手と首を同時に振った。その両目は、俄かに輝きを増したかに見えた。