行政法な一日

大阪港湾合同庁舎


毎年、この時期になると、「行政法」を思い出す。それは、「確定申告」の季節だからである。

私の場合、申告する義務はないが、すでに源泉徴収されている分を取り返すための、還付申告である。先月初め、税務署から申告書が届き、早くしなければ、と思いつつ、今日になってしまった。国税庁のホームページからでも手続ができるが、こういう作業は、机に向かって、紙にしっかり書き込むほうが、しっくりくる。世界中の航空券がネットで購入できる時代に、わざわざ窓口に出向いて航空券を買う人を、私は理解できなかったが、案外、気分的なものなのかもしれない。

ささっと、適当に(適切に)書き上げ、最寄りの尼崎税務署に出頭。申告期間も残り1週間、税務署側もアルバイト職員を動員して、大忙しだ。といっても、提出するだけなので、早い。申告書の控に、「受理」印を押捺してもらう。

さて、その足で、今度は大阪港にある「大阪検疫所」へ向かう。司法試験明け、東アフリカのケニアタンザニアに行くか、南アフリカジンバブエにするか、まだ迷っているところだが、前者の場合、「黄熱病」の予防接種が必要となる。黄熱病は、その病原菌を発見するために西アフリカのガーナ(当時は英国植民地)に渡った野口英世を、死に至らしめた病で、免疫のない日本人が感染すると、致死率は50%とされる。今は有効なワクチンがあり、ふつう「イエローカード」(予防接種証明書)というと、黄熱ワクチンのことを指す。体内で免疫ができ上がるのに接種後10日かかり、10年間有効。試験後すぐに飛び立つことを考慮すると、今のうちに打っておかねばならない。

他の病気の予防接種は、民間の医療機関でもできるが、黄熱については、WHO(世界保健機関)の規定に基づいて実施されるので、予約したうえで、検疫所に出頭する必要がある。接種代金は、証明書込みで、8530円。これを、司法試験の受験料と同じく、「収入印紙」で支払う。

大阪地下鉄中央線・大阪港駅に降り立つ。このあたりは埋立地で、「築港」という、いかにも、な地名である。港に向かって少し歩くと、時代がかった建物の「大阪港湾合同庁舎」が見えてくる。大阪税関・大阪海上保安監部・大阪港長・大阪検疫所・大阪入国管理局大阪港出張所・神戸植物防疫所大阪支所・動物検疫所神戸支所大阪出張所が、一堂に会している(写真)。ほとんどが国の出先機関だが、「大阪港長」だけが、異質である。所属は、どこの行政主体なのだろう。どうでもいいことだが、"CAPTAIN OF THE PORT, OSAKA"という英文表記が、かっこいい。

受付で、来庁者名簿に記入してから、検疫所へ。黄熱の予防接種は、毎週金曜日の週1回しかなく、私のほかに、3人いた。30歳代の男性と、母娘のようにも、年の離れた姉妹のようにも思われる、50歳代と30歳代(?)の女性。黄熱の蔓延するような国へ、皆さん何しに、と思う。人のことは言えないが。

注射後、世界中で通用する「イエローカード」が発給される。アフリカ諸国の一部は、これがないと、入国すらできず、その場で強制注射されることもある。そんな国の注射針、黄熱はともかく、もっと恐ろしい病気をうつされそうだ。

"JAPANESE GOVERNMENT QUARANTINE SERVICE OFFICIAL"(日本国政府検疫官吏)という公印が押捺されている。日本の公印で、全て英語表記というのも珍しい。

ここで、ふと、「イエローカード」の発給は、行政法上の「行政処分」(法律行為的行政行為)だろうか、「公証」(準法律行為的行政行為)だろうか、と一般人にはどうでもよい疑問が、頭をよぎる。おそらく後者であろう。

検疫所を出て、大阪築港郵便局に「旅行貯金」に立ち寄る。場所柄、外国人の姿が目に付く。郵便の窓口で、白人の男性が、荷物の発送手続をしている。どこの国の人だろう、と思っていると、「名前」の欄を指差し、「ナイム?」と言う。

一目瞭然、オーストラリア訛り(オージー・イングリッシュ)だ。彼の地では、nameの"a"の発音が、「アイ」になるのである。

帰りは、ほど近い天保山から、市バスで大阪駅に出た。時間はかかるが、地下鉄(片道270円)からの乗継割引が適用され、運賃は100円になる。大阪へ行ったときは、市バスの活用をお薦めしたい。

帰宅してから、税務署で貰った案内書を見ていると、「計算誤り等がある場合、ご連絡いたしますので、その箇所を確認の上、訂正をお願いします」とある。

申告書の内容が間違っていた場合、行政庁(尼崎税務署長)としては、いきなり「更正処分」(行政処分)をしてもよいのだが、通常は、この「修正申告の慫慂」と呼ばれる「行政指導」が前置される。国民の側としては、それに従う義務はないが、従っておいたほうが、身のためではある。

司法試験との関係では難解な「行政法」も、このようにとらえると実感がわき、面白くなって…、くることを期待する。