刑法と国際法の対話

「さらば、京都!」の卒業式から、ちょうど1週間。

まだ、「リバイバル」(記念復活)をするにはいささか早すぎるが、本学法学研究科の高山教授(刑法)主催で、国連薬物犯罪事務所テロ防止部長のJean-Paul Laborde氏による、“The impact of the latest actions of the UN against Terrorism on national penal legislation”(国連による最近のテロ対策行動が国内刑事立法にもたらす影響)という講演があったので、出席してきた。

こう書くと、何やら大仰に聞こえるが、実態は研究者向けの報告会であり、私のほかの出席者は、本学の国際私法の教授、阪大の国際法の先生を筆頭に、博士後期課程で国際法専攻の人たちなど、総勢9名。なぜ、他の出席者の素性まで知っているかといえば、開始前に「自己紹介」が行なわれたからである(当たり前だが、皆さん英語は堪能であった)。ロースクールを修了しただけの私は、いささか場違いの感もあったので、「特に国際法と刑法に興味があります」と、強調しておいた。

講師のLaborde氏は、もとはフランスの司法官で、高等裁判所の部長や「副検事総長」(日本でいう最高検次長検事)なども務めた、なかなか偉い方である(フランスでは、判事と検察官の身分は共通である)。講演は英語で行なわれたが、フランス人のLaborde氏にとっても母語ではないので、ゆっくり話していただけ、なんとかついてゆけた。

内容は、ごく簡単にいえば、伝統的に国内刑法上の「犯罪」としてとらえられてきたテロ行為が、世界規模で発生するようになり、国際法平面で捕捉する必要が出てきたが、そこにおいて、さまざまな「コンフリクト」(conflict 衝突)が生ずる、というものだった。

印象に残った(正確には、聞き取れ、理解できた)点を挙げる。

ひとくちに「テロ」といっても、その定義からして、一様ではない。国連関係の機関だけでも、「1つの事象に対し、13もの定義がある」という。刑法においては、「法律なければ犯罪なし、法律なければ刑罰なし」という「罪刑法定主義」(principle of legality)の要請が働くが、いったい、「テロ行為」とは何を指すか、ここに緊張関係が生ずる。この文脈で、"complicity"(共謀共同正犯?)という話も飛び出したが、それが何を意味するのか、残念ながら理解できなかった。

また、合衆国や英国で現に実施されているテロ対策立法は、憲法で保障された基本権(human rights 人権)と衝突する。私見だが、令状なし・司法審査を経ない身柄拘束など、日本では、まず立法化できないであろう。

最後に、Laborde氏は、「テロ行為は、政治行動とみなされてはならない」と強調され、私は、大きく頷いた。日本の一部メディアには、イラクで頻発する自爆テロを、「占領軍に対する『ジハード』」という視点でとらえるものがあるが、その姿勢が、テロリストに誤ったメッセージを送っていることに、気づかねばならない。

余談だが、Laborde氏は、身振り・手振りを交えて話されたが、勢いあまって、机の上のコップをひっくり返し、中身のコーラを自らにぶちまける、というハプニングもあった。一同、呆然となった次の瞬間、高山教授をはじめ、女性の出席者が、一斉にハンカチやタオルを持って駆け寄られたのは、流石だった。

ところで、読者各位はご存知だろうか。現在、カンボジアでは、1970年代に国民の大量虐殺を行なった親中共産政権「クメール・ルージュ」(いわゆるポル・ポト派)の幹部を裁く特別法廷が設置されているが、その上級審判事に、日本国検察庁の野口元郎検事が任命されていることを。
(外務省「カンボジア和平及び復興への日本の協力」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/cambodia/kyoryoku.html参照)

野口判事(検事)は、国際法に精通し、英語も堪能だという。本職が検事だから、刑事法関係の知識はいうまでもない。私が理想とする、実務法曹の一人である。