JRグループ20年の展望

JRグループ二十年の展望

(目次)
はじめに
第一 巨大組織・国鉄の崩壊
第二 JRグループのあゆみ
第三 分割民営化の功罪
 1 そもそも「分割」とは?  
 2 「分割」民営化がもたらしたもの
 3 長距離列車の衰退
 4 全社的ネット予約システムの実現に向けて
第四 「鉄道が元気な22世紀」をめざして
 1 JRグループの将来
 2 再びの鉄道ルネサンス
おわりに

はじめに

 ちょうど20年前の昭和62年4月1日午前0時。いまは跡形もなき、東京の汐留貨物駅。ライトアップされた蒸気機関車C56 160号機の運転台に、杉浦喬也国鉄総裁が乗り込み、汽笛を吹鳴した。

 明治5年の鉄道開業以来、115年の歴史を誇った「国鉄」が消滅し、JRグループが誕生した瞬間だった。


第一 巨大組織・国鉄の崩壊

 公共企業体日本国有鉄道国鉄)が分割民営化やむなしに至った理由は、あえて詳論するまでもなかろうが、その絶望的な赤字体質を改革するためである。末期には、毎年1兆円を超える赤字を出し、国民の視線は非常に厳しかった。赤字の理由としては、しばしば、「我田引鉄」の政治路線など、いわゆる「赤字ローカル線」が槍玉に挙げられる。けれども、鉄道専門家として指摘しておくと、ローカル線に起因する赤字は、問題の本質ではない。

 赤字のローカル線が多かったのは、たしかに事実である。だが、驚かれるかもしれないが、「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」(昭和55年法律第111号。通称・国鉄再建法)で廃止対象となった、全国83線区のローカル線の赤字額の合計より、東海道本線(東京−神戸間)1線区の赤字額のほうが、大きかった。廃線に伴う社会的損失を無視するならば、赤字ローカル線を廃止するより、東海道本線をそっくり廃線にしてしまうほうが、数字の上では、効果は大きかったことになる。

 では、赤字の根本的原因は何かといえば、借入金で賄った、山陽以降の各新幹線(山陽・東北・上越)にかかる巨額の建設費の償還であった。その負担の重さたるや、利子が利子を呼ぶ「孫利子」という言葉まで生んだほどである。新幹線建設が、民意に沿った国家的プロジェクトだというのなら(整備新幹線のベースは、田中角栄の「日本列島改造論」である)、この赤字を、単年度ごとに国の補助金で穴埋めしてゆけば、国鉄財政は破綻を免れたし、最終的な「国民負担」(税金投入)の額も、はるかに少なくて済んだはずであり、残念でならない。

 信じられない、と言われるかもしれないが、国鉄最終年度の昭和61年度の営業損益では、旅客鉄道事業についてみれば、すでに「黒字」だったのである。

 一方で、国鉄の輸送体系や人員配置に、非効率な点が多かったのは事実である。道路網の発達で、スピードの遅いローカル線の乗客数は、減少の一途をたどっていた。主要駅ごとに貨車を組み替えてゆく「ヤード式貨物輸送」から、拠点間輸送で到達時分の短い「コンテナ式」への移行が遅れ、トラック輸送にシェアを奪われた。業務量の差異にも拘らず、全国一律に要員を配置したので、1年間に、線路の枕木を17本交換しただけという、笑い話のような保線区まであった。

 労使対立も、深刻だった。国鉄が赤字に転落して間もない昭和45年、当局は、「生産性向上運動」(通称・マル生)を推進するが、一部で「組合つぶし」的なゆきすぎがあったことで、労働組合が猛反発、当時の磯崎叡総裁が謝罪する事態に追い込まれた。この後、労使関係は非常にいびつな形となり、何をするにしても組合は「団体交渉」を要求、現場長や助役の「吊るし上げ」が頻発した。国鉄職員は公務員に準ずるということで、争議権は認められていなかったが、スト権奪還のための「スト権スト」(もちろん違法)、脱法行為的にわざと列車をノロノロ運転させる「遵法闘争」など、利用者を顧みない組合の姿勢に、世論も呆れ果てた。


第二 JRグループのあゆみ

 国鉄がJRになって、20年。「国鉄を知らない子供たち」ばかりになった現在、もはや意識されることも少ないが、国鉄時代と比べて、サービスは格段に良くなった。薄暗かった駅舎は見違えるように明るくなり、「駅そば」と喫茶店くらいしかなかった駅構内に、駅の外からも客を集めるようなショップが、次々と開業した。大手百貨店との合弁で再開発された駅ビルも、全国に誕生し、駅はいまや、「列車に乗るための鉄道施設」というより、「列車にも乗れる複合施設」とでも呼んだほうが適切である。

 車両についても、JR各社は、かなり力を入れた。都市圏の通勤電車も新しくなり、都市間を結ぶ特急列車は、地域ごとに意匠を凝らした車両が登場し、居住性は大幅に改善された。新幹線の高速化も進み、JR10周年にあたる平成9年には、JR西日本500系「のぞみ」が、世界最速の時速300キロで鮮烈なデビューを飾った。

 列車ダイヤも、大都市圏を中心に改善された。とくに、私鉄との競争にさらされてきた京阪神圏は、輸送体系が抜本的に改められた。首都圏でも、貨物線を利用した「湘南新宿ライン」の運転開始や、需要の旺盛なグリーン車の連結拡大などが進められた。

 鉄道事業に関して特筆すべきは、JR本州3社は、発足以来、消費税転嫁を除き、運賃・料金を一切値上げしていないことである。国鉄末期は、毎年のように値上げを余儀なくされていたことを考えると、JR各社がいかに効率化を進めたかがわかるであろう(北海道・四国・九州の三島会社においても、実質値上げは平成8年1月の一度だけである)。

 併せて、JR各社は、本業の鉄道以外に、経営多角化を進めた。当初は、「関連事業」という位置づけで、駅構内の飲食店など小規模のものが中心だったが、奇をてらったものでは、ひらめの養殖や、しめじ栽培などの例もあった。これらは、「とりあえずやってみた」という印象があり、数年のうちに、事業の見直しがなされた。

 現在、各社とも力を入れているのは、不動産開発である。国鉄は、駅周辺などの「一等地」に、広大な敷地を保有していた。これらの再開発や、沿線の社宅跡地の分譲など、「手堅い」分野が中心である。

 将来性という点で注目すべきは、JR東日本の「Suica」をはじめとする、いわゆる「電子マネー」市場であろう。JR東日本は、当初、もっぱら鉄道の効率化の観点から、ICカード乗車券を導入したのだが、この経営判断が、またとないビジネスチャンスをもたらした。いまや、Suica事業は、JR東日本において、鉄道と並ぶ「コア」事業と位置づけられている。今春には、私鉄系の「PASMO」との相互利用が始まり、鉄道・バスを含めたシームレスな輸送サービスの提供に加え、生活関連サービスにおいても、いっそうの市場規模拡大が期待される。

 これらの施策は、国鉄という公共企業体組織のままでは、実現しえたかは疑わしく、国鉄分割民営化は、国民にとって、間違いなくプラスであった。だが、その陰で、次項で述べるような「地方格差」の問題が生じたこと、そして、「国鉄改革」の錦の御旗のもとに国労組合員のJRへの採用「差別」という、国を挙げての「不当労働行為」が堂々と行なわれたことは、指摘しておかねばならない。この点、「裁判闘争」は、組合側の全面敗訴に終わったが、最高裁は、JR各社の不当労働行為責任を否定しつつ、国鉄、すなわち国の責任を否定したものではないことに、よく注意する必要がある(最判平成15年12月22日・民集57巻11号2335頁参照)。


第三 分割民営化の功罪

 1 そもそも「分割」とは?

 ここまで読まれて、国鉄が、公共企業体という、経営責任の曖昧な組織だったことが、破綻につながったとするなら、「民営化」すればよく、「分割」民営化する必要はなかったのではないか―。そう思われた読者がおられたら、賢明である。実際、国鉄改革が叫ばれだした当初は、「非分割・民営化」をいう意見も有力だった。

 輸送という観点からは、レールがつながっている以上、これを一体で運営するほうがベターなのは明らかである。実際、貨物輸送については、JR貨物が全国一元で担当している。だが、実は、国鉄改革は、「分割」にこそ、意味があったのである。

 それは、全国一元組織では、地域の特性に応じた運営ができないためだ。極端な話、国鉄時代は、たとえば、駅の「乗客掛」ならば、首都圏の駅で旅客対応に忙殺されている職員も、1日に数本の列車しか発着しない北海道のローカル線の駅で、花壇の手入れに精を出している職員も、同じ給料を貰っていたのである。そのことの是非はともかく、経営上は非効率である。

 また、地方で新しく路線が電化されるという場合、当然、電車を新造する予算が下りるが、国鉄時代は、その予算で首都圏に新車を入れて、地方には中古車を回す、ということを当たり前のようにやっていた。経済学的には、財の有効配分ということになっても、地方では、いつまでも冷房車が入らず、結果として競争力が低下する、ということにもなっていた。

 付け加えれば、政府・与党内には、会社別組合が主流のわが国にあって、分社化することが、労働組合対策にもつながる、という思惑もあった。

 こうして、国鉄の旅客部門は、6つの鉄道会社(北海道・東日本・東海・西日本・四国・九州)に分割されることとなった。

 2 「分割」民営化がもたらしたもの

 分割から20年後の現在、振り返ってみて、前項で述べたサービス改善施策のなかには、分割したからこそ実現したものが、数多くある。地方都市圏では、地域の流動に合わせたダイヤが組まれるようになり、新車の投入も進んだ。「北海道」という理由だけで、国鉄時代は冷房車が1両もなかった札幌都市圏をはじめ、仙台・新潟・静岡・名古屋・高松・福岡などで、サービス改善が進んだ。

 もっとも、JR西日本管内では、京阪神圏がめざましい発展を遂げる一方、金沢・広島の両都市圏には、現在に至るまで、新車が1両も入っていない。結局、「たらい回し」の構図が縮小されただけともいえる。

 「地域格差」についていえば、わけても深刻なのは、ローカル線の行方である。建前としては、JR各社の負担になる赤字ローカル線は、国鉄再建法に基づいて廃線となっており、JRが継承した線区は、今後も維持されるのが原則である。しかし、経営効率化を進めてもなお、ローカル線が赤字基調であることに変わりはなく、過疎化・少子化の影響で、危機は深化している。とくに、JR西日本管内では、ここ数年で、列車が1日3〜5本程度にまで減らされた線区もいくつかあり、もはや日常の「足」として機能していないところもある。地元自治体も、「下手に騒いで、廃止されるよりはまし」と、あまり声を上げないようだが、JRには、ローカル線の全てを維持する義務は、法的には、ない。経営の限界を超えた線区については、今後のあり方(直営維持・いわゆる「上下分離」による分社化・バス転換)を再検討すべきであろう。

 また、JR西日本のローカル線では、保線にかかる人件費の節約のため、月に1回、列車を半日以上運休し、従来は深夜に行なっていた保線作業を、昼間に実施したりもしている(その間、代行バスなどの運転すら、ない)。今後とも鉄道として維持してゆくのであれば、利用者に多大な不便を強いるこのような施策は、会社の「イメージ戦略」として極めて拙劣であり、妥当とは思われない。

 3 長距離列車の衰退

 国鉄改革当時、「分割」を懸念する意見のなかに、長距離列車の運転に支障が出る、というものがあった。これは、杞憂に終わった面もあるが、的中したところもある。本州3社の会社境界は、なるべく地域流動の境目と一致するように設定されたが、特急列車や、夜行の寝台列車をはじめ、会社間をまたがって走る列車は、かなり多かった。

 この20年の間に、「越境」列車は、ダイヤ改正の度に削減された(例外は、直通列車の増えた東海道・山陽新幹線)。なかでも思い出されるのは、平成13年3月廃止の特急「白鳥」(大阪−青森間)や、平成17年3月廃止の寝台特急「あさかぜ」(東京−下関間、かつては博多まで運転)、同「さくら」(東京−長崎間)などである。これらは、航空機の発達による旅客流動の変化という面もあるが、仕様の異なる他社の車両を管理する手間を極力避けたい、という会社側都合によるところも大きい。

 寝台列車についていえば、全国で「夜行バス」が隆盛を極めているなかで、「眠っている間に移動する」というニーズが、極端に少なくなったとは思われない。では、なぜ寝台列車は人気がないのか。それはひとえに、多くの寝台客車の設備が、時代に合わなくなったためである。プライバシーの叫ばれる時代に、カーテンで仕切られただけの「寝台」料金が6300円(これに、通常の運賃・料金が加わる)というのは、時代錯誤的ですらある。

 数少ない改善例としては、東京−出雲市間・東京−高松間を結ぶ「サンライズエクスプレス」がある。このように、魅力的な新車を入れれば伸びる要素はあるのだが、ここに「分割」民営化が影を落とす。それは、主たる発着地の東京を管轄するJR東日本にとって、東海道を西に向かう寝台列車を走らせても、自社の収入は熱海までしかないのだ。JR東日本にとって、長距離列車は、ラッシュ輸送の邪魔者でしかないのである。JR西日本JR九州にしても、わずかな列車のためだけに新しい車両を製造するのは、割に合わない。こうして、北海道方面への「北斗星」(上野−札幌間)・「トワイライトエクスプレス」(大阪−札幌間)など、一部の看板列車を除くと、夜行寝台列車は、「風前の灯」という状況にある。これは、誠に残念であるといわなければならない。

 4 全社的ネット予約システムの実現に向けて

 上に述べたようなことは、ある程度鉄道に詳しい人なら、言われなくてもご存知であろう。最後に、少し違った観点から見てみる。

 現在、JR四国を除く各社は、インターネットによる列車の座席予約システムを導入している。これらのシステムは、各社が独自に運営しており、ある会社のシステムで予約したきっぷは、その会社の窓口でしか、受け取ることができない。さらには、自社管内の列車しか扱っていないシステムがほとんどで、使い勝手は非常に悪い。JR東海JR西日本が共同運営する「エクスプレス予約」は、初めて、会社間の「壁」を越えたシステムとして評価できるが、JRが発行するクレジットカードを作る必要があるほか、予約できる列車も東海道・山陽新幹線だけであり、ライバルの航空会社のネット予約システムには、遠く及ばない。

 これは、旅客会社だけを責めるのは、酷な面もある。だが、一般の利用者は、分割されたJR各社の事情など知る由もなく、「JR」という目で見ている。航空会社は、全国どの路線でもネットで手軽に航空券が買えるのに、JRは、いちいち駅に行かないときっぷが買えない、という現状は、潜在的な顧客層を逸走させていると評せざるをえない。

 この点、JRグループには、「みどりの窓口」の発券コンピュータ(通称・マルス)を全国一元で管理運営する、JRシステムという通信子会社がある(株主は、旅客6社・貨物会社)。JRシステムがイニシアティブをとれば、マルスのホストコンピュータと同期した、全国一元のネット予約システムの構築は、不可能ではないはずだ。JRバスグループにおいては、すでに、かかるシステムが稼働しているところであり、レールにおいても、今後の展開に期待したい(ちなみに、JRバス各社は、JR旅客6社の全額出資子会社である)。


第四 「鉄道が元気な22世紀」をめざして

 1 JRグループの将来

 JR各社のことを、一般に「JRグループ」と表現するから、誤解されている向きもあるが、JRグループは、たとえばNTTグループや、今年10月の郵政民営化で発足する日本郵政グループなどとは異なり、中央に「JRホールディングス」のような、持株会社があるわけではない。各社間に、資本関係は全くなく、ただ、「国鉄が母体」という連帯意識だけの兄弟会社である。

 もし―歴史に「たら、れば」は禁句だが―、いま、国鉄改革が行なわれたとすれば、おそらく、持株会社方式がとられたであろう。だが、幸か不幸か、戦前の「財閥」復活を恐れたわが国では、平成9年の独占禁止法改正まで、「純粋持株会社」の設立が禁止されていたため、現在のような形態となっている。

 当初、国(国鉄清算事業団)が全株式を保有して発足したJRグループは、本州3社が、平成9年までに株式公開(上場)を実現し、平成13年の「旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律」(昭和61年法律第88号。通称・JR会社法)の改正で同法の規制を外れ(ただし、同法平成13年改正附則2条・同3条参照)、完全民営化を達成した。

 一方、経営環境の厳しい三島会社(JR北海道JR四国JR九州)と、JR貨物については、現在も、国(独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構)が全株式を保有しており、上場の行方は見えない。国鉄改革のゴールが、JRグループ全社の株式公開にあるならば、持株会社方式も検討されてよいのではないか。

 すなわち、JRグループ各社が合同で「JRホールディングス」のような持株会社を新設し、会社法上の「株式移転」手続を経て、各社がぶら下がる形を作るのである(なお、この場合、三島会社・JR貨物については、会社法上の手続に加え、国土交通大臣の認可が必要である。JR会社法9条)。こうすれば、前項で述べたような「分割」に伴う弊害にも、JRグループ全体の見地から、大所高所の判断で対処することが可能になる。

 だが、少なくとも近い将来においては、この可能性は、ゼロであろう。一度「分割」を経験したJR各社の企業風土は、すっかり別会社のそれになってしまったからである。「兄弟」たるJRグループ他社との協力関係にはほとんど重きが置かれず、連結対象の自社の子会社・関連会社で構成する自社グループの利益最大化が、究極の経営目標となっている。

 もっとも、現時点においては、各社の役員をはじめ、幹部社員は国鉄時代の採用であり、人的なつながりで、会社を超えて協力し、難局を乗り切った例もある。阪神大震災後、高架橋ごと崩壊した東海道本線六甲道駅の復旧にあたっては、JR東日本の技術陣が応援に駆けつけた。こうした協力は、「国鉄」を経験した世代だからこそ可能だったのではないだろうか。JR採用社員が幹部を占める時代が、まもなくやってくる。そのとき、JRグループは、「JRグループ」で、いられるだろうか。

 2 再びの鉄道ルネサンス

 国鉄改革の理念は、「鉄道再生」であった。この原点に思いを致すとき、JRグループは、「JRグループ」であり続けなければならない。すなわち、母体が「国鉄」であったことを、決して忘れてはならないのである。

 かつて、こういうことがあった。JR東海が、東海道新幹線の品川駅設置を計画した時、一帯の土地を所有するJR東日本に、土地の譲渡を申し入れた。これに対し、JR東日本は、自社主導での再開発を盾に、これに難色を示したのである。

 JR東日本の態度に、葛西敬之JR東海社長(現会長)は激怒する。マスコミは、この一連の騒動を「兄弟喧嘩」とはやし立てたが、葛西さんは、あくまで論理的に、こう主張した。

「JRが国鉄から承継した土地は、『遺産相続』で得たのとはわけが違う。国民経済のために、国民から『信託』的に与えられたものである。しかるに、自社の利益を優先するとは何事か」

 結局、JR東日本が折れ、JR東海に用地を提供した。結果、平成15年秋のダイヤ改正で開業した品川新駅は、東京西部エリアから新幹線へのアクセスを飛躍的に高め、東海道新幹線の「第二の開業」とまで称されるようになった。

 東海道新幹線は、昭和39年、十河信二国鉄総裁の鶴の一声で開業した。十河さんの英断がなければ、東海道新幹線はなかったし、旅客輸送量世界一の「鉄道大国」・日本も、なかったであろう。そればかりか、日本の新幹線の成功に触発された、世界各国での「鉄道ルネサンス」の動きも、なかったに違いない。

 東海道新幹線は、「20世紀の鉄道のかたち」を変えた。その功績は、どれほど高く評価しても、し過ぎることはない。けれども、いつまでも「夢の超特急」の幻想にしがみついていては、未来は拓けない。

 現在、北海道・東北・北陸・九州で、いわゆる「整備新幹線」の建設が進んでいる。これらの新幹線は、在来線とセットの運営では採算のとれる見込みがないので、政府・与党申し合わせにより、新幹線開業後は、並行在来線はJRから「経営分離」されることとなっている。だが、そこまでして、地方に新幹線は、本当に必要なのだろうか。

 むしろ、近い将来必ず起こるとされる東南海沖地震を見すえたとき、真に整備を急ぐべきは、東海道新幹線のバイパスとしての「中央リニア新幹線」に、他ならない。新幹線は、地震が起こっても、初期微動(P波)を検知した段階で、自動的に非常ブレーキがかかる仕組みになっており、人身被害は最小限に抑えられる。だが、施設の損傷は、どうしても避けられない。

 万一、東海道新幹線が長期不通となったとき、社会経済的損失は、計り知れないものがある。中央リニア新幹線の実現は、もはや喫緊の課題というべきである。

 東京−大阪間を1時間で結ぶリニアは、確実に、「21世紀の鉄道のかたち」を変える。東海道新幹線国鉄改革と、わが国の鉄道は、常に世界をリードしてきた。JRグループ20周年を迎え、次なる飛躍への一歩を、力強く踏み出してほしい。


おわりに

 私の「鉄道論」は、私が最も尊敬する、JR東海葛西敬之会長の影響が大きい。葛西さんは、これまで、中央リニア新幹線について、「国家的プロジェクト」と表現されてきた。リニア建設に必要な費用は、約9兆円と試算されている。いくらJR東海といえども、一社で負担できる額ではなく、国民的コンセンサスを経る必要がある、という趣旨であろう。

 ところが、先日の読売新聞のインタビュー記事で、葛西さんは、「国の支援をあてにして、前に進まないというのはよくない」と、発言された。そのニュアンスの変化に注目していたところ、3月20日の定例会見で、JR東海松本正之社長は、リニアへの取り組みを問われ、こう答えた。

「東京、名古屋、大阪の3大都市圏を結ぶ輸送をしっかりやっていくのが当社の使命であり、その意味では東海道新幹線は限界に近づいている。その隘路を打開するためのバイパス実現に向けては、当社がイニシアティブをとって進めていく必要がある。昨年設置した東海道新幹線21世紀対策本部で、将来に向けてどういう形が良いかなど幅広い検討を行っていくが、自らの体力を踏まえながら前へ進めていく」

 かつて、十河信二さんは、国鉄総裁を引き受けるにあたって、こう述べられた。

「最後のご奉公だと思って、『線路を枕に討ち死に』する覚悟であります」

 葛西さんが国鉄に入社した時、辞令を交付したのが十河総裁だった。畏れながら、十河さんの強いリーダーシップを受け継がれた葛西さんのこと、必ずや、リニアを実現してくださるものと信ずる。


 JRグループ20周年、本日は誠に、おめでとうございます。