序章・アフリカへの道

『南部アフリカ大鉄道紀行』

(目次)

序 章 アフリカへの道
第一章 航空券のこと
第二章 ブラック・アフリカの真ん中へ
第三章 ハラレ
第四章 ジンバブエの夜行列車
第五章 ヴィクトリア・フォールズ
第六章 ミミとの出会い
第七章 夢の喜望峰
第八章 マカオの一夜
第九章 台湾新幹線試乗
終 章 終わりなき旅

『南部アフリカ大鉄道紀行』

  序章 アフリカへの道

 司法試験が終わったら、アフリカへ行こう。前々から、そう考えていた。理由は、二つある。

 高校卒業までに、沖縄を除く日本中を鉄道で旅した私は、5年前の夏、中国で、上海から新疆ウイグル自治区ウルムチまで、50時間(車中2泊)かけて走る「シルクロード特急」に乗ったのを皮切りに、世界各地の鉄道に乗りまくってきた。海外の鉄道は、日本人にとって、カルチャーショックの連続である。安全性や列車ダイヤの正確性などは、鉄道側の体制に加え、その国の民度によっても左右されるので、一概にはいえない。が、少なくとも、トータルで見たとき、日本の鉄道が、世界で「最も完成された」鉄道であるのは、間違いない。

 ともかく、鉄道王国たる日本に生まれ、鉄道とともに育った私にとって、海外の鉄道は、全てが新鮮なのであった。鉄道に乗ると、名所旧跡めぐりなどよりも、その国の真の姿に触れられる。私は、海外の鉄道の虜になった。
 気がつくと、南北アメリカ・ユーラシア・ヨーロッパの鉄道には、なんらかのかたちで1回は乗っており、「世界五大陸」のうち、アフリカだけが残っていた。それなら、今度はアフリカの鉄道に乗ってみようではないか―。これが、アフリカを志した第一の理由である。

 二つめは、その地理的位置である。普段は鉄道に乗れさえすれば満足の私でも、世界には、この目で見たい観光地がいくつかある。ペルーのマチュピチュ遺跡を制覇してからは、アフリカ南部・ジンバブエの「ヴィクトリアの滝」と、アフリカ大陸最南西端・「喜望峰」(Cape of Good Hope)が、憧れの地だった。が、いうまでもなく、アフリカは、遠い。日本から南部アフリカへの直行便はなく、ヨーロッパかアジアで乗り継ぐ必要があり、現地に着くまでに、まる1日かかってしまう。3泊4日でも気軽に行けるアジアとは、わけが違う。まとまった時間のあるうちに行っておかないと、いつ行けるかわからない。

 こうして、アフリカ行きの方針は早くから確定していたのだが、南部アフリカに決めたのは、今年4月になってからである。というのは、同じアフリカでも、ケニアタンザニアにも心惹かれていたからであった。この両国へ行く場合、黄熱病の予防接種が必要なので、私は、3月初め、大阪検疫所に出頭し、注射を受けておいた。
 だが、私を知る人ならご存知のように、私は、可能ならば結婚したいくらい、「冬」が大好きである。これまでも、日本の夏休みは南半球へ「脱出」し、冬休みには、喜び勇んで北海道やロシアなどを旅してきた。この点、時季的に冬にあたる南部アフリカが、一歩リードである。
 逆に、ケニアタンザニアの6月は、ちょうど「雨季」にあたるという。ただでさえ、黄熱病に加え、マラリアの蔓延する国に、蚊の大発生する時季を選んで乗り込むこともあるまい。かくして、南部アフリカ行きに決定したのだが、どういう旅程を組むか。

 旅の計画をあれこれ考えるのは、いわゆるパックツアー(募集型企画旅行)では味わえない、旅の楽しみの一つだが、ここで、大事なことがある。私は、いやしくも司法試験受験生である、ということだ。アフリカに没頭するあまり、1年を棒に振っては、元も子もない。
 私は、旅のプランニング時間は、お気に入りのラジオ番組「ジェットストリーム」(ちなみに、JALの一社提供)を聴きながらの、1日あたり45分と決めた。
 考慮事項は、次の二つである。
・最低一度は、鉄道を利用する(そうでなければ、アフリカに行く意味がない)
ヴィクトリアの滝喜望峰を観光するが、ケープタウン喜望峰)を最終目的地とする

 ここで、南部アフリカの情勢について、少し説明しておかねばならない。はっきり言って、南アフリカの治安は、非常に悪い。ガイドブック『地球の歩き方南アフリカ』(ダイヤモンド・ビッグ社、2006年)には、「ヨハネスブルグ中央駅周辺は、いつ強盗に襲われてもおかしくない超危険エリアだ」「鉄道での移動はすすめられない」などと書いてあり、鉄道の情報が、ほとんどない。私は、英国の鉄道ファンサイトなども参照し、情報を収集した。
 それらによれば、ヨハネスブルグケープタウン間などを結ぶ長距離列車の車内は安全だが、駅周辺が危険なのは疑いないようだ。タクシーで、改札の前まで乗りつけるという手もあるが、ガイドブックが「すすめられない」と書くのは、それなりの根拠があってのことだろう。
 実は、南アフリカには、世界一豪華と称される、「ブルートレイン」という名の寝台列車が、首都(行政府)のプレトリアケープタウンとの間を27時間かけて走っている。ガイドブックにも、この列車は紹介されている。JRグループ寝台特急も「ブルートレイン」と呼ばれるが、格が違う。どのくらい違うかというと、南アのブルートレインの運賃は、食堂車でのフルコースのディナー込みで、日本円で10万円以上。いつかは乗ってみたいが、今の私には、手が出ない。それに、こういう豪華列車は、素敵な女性を同伴してこそ、楽しめるものである。

 いずれにせよ、南アフリカ国内での鉄道利用は、見送らざるをえないようであった。そうすると、ジンバブエ国内で、なんとしても鉄道に乗らねばならない。ジンバブエ国鉄のメインルートは、首都のハラレと、南ア方面へとつながる交通の要衝であり、第二の都市でもあるブラワヨとを結ぶ路線で、この区間に、夜行列車が1日1本走っている。できれば、車窓の眺められる昼間の列車に乗りたいが、長距離列車は、すべて夜行なので、やむをえない。
 さらに、ブラワヨから、ヴィクトリアフォールズまでも、夜行列車が出ているようだ。これは好都合である。ハラレ−ブラワヨ間、ブラワヨ−ヴィクトリアフォールズ間の2区間、鉄道に乗ろうと思う。

 さて、ヴィクトリアフォールズから、ケープタウンまでの移動は、どうするか。手っ取り早いのは、飛行機である。直行便はなく、ヨハネスブルグでの乗り継ぎになるが、1日で移動できる。それも考えたが、それぞれの都市から、ナミビアの首都・ウィントフックまでの長距離バスがあることがわかった。
 ナミビアは、第一次大戦までドイツ植民地「南西アフリカ」だったところで、1990年に独立した新しい国である。ここまで独立が遅れた理由については、南アが長年続けてきた「アパルトヘイト」(人種隔離政策)と、国際法・国際政治とが絡むややこしい話になるので割愛するが、それらに興味をもって調べたことのある私にとって、注目してきた国家のひとつだった。たしか中学2年の夏休みだったと思うが、アフリカの国を一つ選んで、レポートを書くという地理の宿題が出た。当時の私が迷わず選んだのは、他でもない、ナミビアだった。
 偶然とはいえ、そのナミビアに立ち寄れる。この目で、生のナミビアを見られる。私は、バスで移動することに決めた。これで、アフリカ内の行程が、確定した。まず、ジンバブエのハラレに飛び、列車で、ブラワヨを経てヴィクトリアフォールズへ。滝を見物した後、長距離バスで、ウィントフックへ出て、さらに、ゴールのケープタウン喜望峰)をめざす。そして、この判断が、後々、忘れられない出会いをもたらすことになるのだった。
 上記のうち、ジンバブエの夜行列車は毎日運転なので問題ないが、ウィントフック発着の長距離バス(インターケープ)は、それぞれ、週2、3便しかない。私は、インターケープのホームページで、運転日を調べ、ここを軸に、日程を調整することとした。

 つぎに、飛行機の手配である。幸い、JALのマイルが6万マイル以上貯まっている。日本からアフリカまで、無料の特典航空券だけで賄えるほどの余裕はないが、ヨーロッパ発のBA(ブリティッシュ・エアウェイズ)アフリカ往復特典(5万5000マイル)、または、香港発のCX(キャセイ・パシフィック航空)アフリカ往復特典(6万マイル)には、引き換えられる。ヨーロッパ経由にするか、香港経由か、最後まで悩んだが、CX特典は、台湾発でも追加マイル不要というのが、決め手になった。
 今年1月、日本の新幹線技術を大幅に採用した、台湾高速鉄路が開業した。日本でも、「台湾新幹線」として大きく報道されたので、ご存知の方も多いだろう。実際には、日本の「新幹線」そのものではなく、施設(軌道)系統を中心に、ヨーロッパの高速鉄道のシステムも採用した「日欧ハイブリッド」仕様となっており、安全面で不安もあるのだが、いずれにせよ、乗らねばならない鉄道であることに変わりはない。正確には、乗らねばならぬことはないのであるが。
 CX特典を使えば、アフリカからの帰路、追加料金なしで台湾に立ち寄り、台湾新幹線にも乗れる。私は、香港経由に決めた。

 4月末、私は、JALの特典予約デスクに電話し、台北発香港経由ヨハネスブルグ往復のCX便の予約を入れた。台北までは、JALグループのEG(日本アジア航空)の有償航空券を別に買い、アフリカ内のヨハネスブルグ→ハラレ、ケープタウンヨハネスブルグ間については、JAL・CX・BAなどが加盟する「ワンワールド」アライアンス(航空連合)が設定している、「ビジット・アフリカ・パス」という、周遊券を利用することとした。この周遊券は、アフリカまでの国際線出発国で発券する必要があり、私の旅程の場合、台湾での発券が必要になる。とりあえず、アフリカ内のBA便の予約だけ入れてもらった。
 並行して、ホテルの手配を開始した。時間もないので、アフリカ専門の旅行会社に頼もうと思っていたが、手数料が1都市あたり5000円かかるうえに、扱っていない都市もあるというので、自前で手配することにした。予約サイトで検索すると、ケープタウンのホテルはいくらでも見つかったが、ジンバブエのハラレやブラワヨは、苦労した。幸い、両都市とも「ホリディ・イン」があり、値段も1万円程度なので、そこに決めた。一大観光地であるヴィクトリアフォールズは、安価なホテルこそ見つからなかったが、オーストラリアのホテル予約サイトに、「ザ・ヴィクトリアフォールズ・ホテル」が1泊170USドルという破格のレートで出ているのを発見した。このホテル、ガイドブックには「一度は泊まってみたい憧れのホテル」とあり、旅行会社経由で予約すると、1泊5万円を下らない。私は、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、予約を入れた。

 これらの作業を、司法試験前に終えていた私は、6月5日の火曜日、10時発の台北ゆきEG211便で、関西国際空港を飛び立った。機材は、JALB747-400。いわゆる「ジャンボ」機である。最近まで、長距離国際線のフラッグシップだったが、ヨーロッパ線が軒並みB777に置き換えられたいま、懐かしさを覚える。
 もともと半官半民の企業体だったJALグループは、北京政府の顔色を伺う日本政府の意向か、台湾線だけは「日本アジア航空」という子会社に運航させている。かつては機材も別々だったが、現在、機材運用はJAL本体と共通化されている。もっとも、妙なところで独自色も打ち出していて、例えば、機内誌は、JALの「スカイワード」ではなく、「アジアエコー」を積んでいる。「アジアエコー」には、中国語(繁体字)のページなどもあり、それはそれで結構なのだが、「スカイワード」のお気に入りの記事が読めないのは、残念である。客室乗務員に、「スカイワードはありますか」と尋ねてみたが、ない、とのこと。シートポケットには入れなくとも、1冊くらい、用意しておいてほしい。
 ちなみに、欧米の航空会社でも、一時期、JAL方式を参考に、台湾線だけを運航する「ブリティッシュ・エアウェイズ・アジア」や、ルフトハンザ・ドイツ航空系の「コンドル」航空などが存在したが、いまでは、いずれも本体に再統合されている。JALグループも、一本化してよいのではないかと思う。
 私は、長距離の国際線では、通路側の席を指定するが、台北までの飛行時間は2時間30分と短いので、アッパーデッキ(2階席)の窓側を選んだ。小さくなってゆく日本の領土を眺めながら、「必ず、ここに帰ってくるぞ」と、胸に誓う。

 はっきり言って、今回ほど、不安な旅立ちはない。少し前まで「アフリカの穀物庫」といわれ、豊かな国だったジンバブエは、「農地改革」の失敗に起因する経済破綻で、昨年のインフレ率は年2000%を超え、食糧不足が報じられている。失業率の上昇で、南アのヨハネスブルグほどではないが、街頭での一般犯罪も増加傾向にあるという。
 もっと気がかりなのは、鉄道の安全である。昨年8月、私も乗る予定のブラワヨ−ヴィクトリアフォールズ間の夜行列車が、貨物列車と正面衝突する事故を起こし、乗客が死亡している。さらに、今年3月23日には、ハラレ郊外で、これまた乗車予定のブラワヨゆき夜行列車に、火炎瓶が投げつけられ、車両が炎上している。
 この時点で、ふつうの人ならば、鉄道に乗るのを躊躇するだろう。だが、鉄道に乗れなければ、アフリカに行く意味はない。火炎瓶は防ぎようがないとしても、いったん事故が起こった線区では、職員も注意を払うだろう。私はそう考え、ジンバブエ鉄道員(ぽっぽや)に、命を委ねる覚悟を決めた。手近に携行する鞄のポケットに、靖国神社のお守りを入れた。

 それでも、出発が近づくにつれ、不安は大きくなる一方だった。なんの因果で、アフリカに行かねばならないのか、と根本的なことを思い悩んだりもした。そもそも、ジンバブエの列車に乗ることにしているけれど、きっぷはすんなり買えるのだろうか。それすら、わからないのである。
 思えば、2年前、初めてロシアに行った時も、不安でたまらなかった。けれども、いざ着いてしまえば、なんとかなった。あの時と同じだ、と言い聞かせた。

 出発前夜、興奮して眠れないというのはよくあるが、私は、高まる不安のなかで、一睡もできなかった。

(「第一章 航空券のこと」につづく)