郵便局への挽歌

小さな特定郵便局


特集「シリーズ郵政民営化」で記したとおり、郵便局は、明日・平成19年10月1日、新たな歴史を刻み始める。私は、郵便局ファンの一人として、郵政民営化は、現行のサービス水準を低下させ、郵便局網をズタズタにしかねないと考え、民営化には断固反対してきた。

民営化に伴い、職員の身分が国家公務員でなくなるというのは、象徴的な意味をもつにすぎない。それによって、なにも国の支出が減少するわけではないのである。郵便局の局舎の維持、職員の人件費等は、すべて独立採算で賄われており、一般会計からの補填は一切受けていない。

いわゆる「見えざる国民負担」論もまた、なんら根拠がない。民営会社であれば、法人税などの諸税を負担するところ、公社という形態のままでは、それを全国民が負担していることになる、と無知蒙昧をひけらかす経済学者もいた。日本郵政公社は、固定資産税を納めるほか、法人税に相当する「国庫納付金」を納めてきた。そしてその額は、民営会社が負担することになると試算される法人税の総額を上回るのである。

また、現在、郵便局は、全市町村に設置されている。過疎地では、銀行が撤退してしまったところも多く、郵便局が「唯一の金融機関」という地区は、全国に無数にある。年金をはじめ社会保障給付の受け取りなど、金融サービスのいわば「セーフティ・ネット」を、郵便局が担っているのである。民営化後、郵便局は「あまねく全国で利用されることを旨として」設置されるが、現在のネットワークを維持する義務などは課されていない。民営化する以上、そのこと自体は当然であるが、半数を超える地方議会で、「郵政民営化反対」決議がなされたことを、いま一度銘記する必要があろう。

2年前の「郵政総選挙」で、これらを正しく認識したうえで投票した人が、どれだけいたのであろうか。「郵便を配達するのは、公務員じゃないとできないんですか?」と、小泉元首相に煽動された大衆は、地方の議論を置き去りにしたまま、盲目的に暴走した。郵便局ネットワークを、「公共財」として位置づけることを拒否して―。

もともと、旅行が趣味だった私は、平成11年4月、自宅最寄りの尼崎南武庫之荘郵便局を皮切りに、「旅行貯金」を始めた。全国津々浦々の郵便局の窓口で貯金をし、通帳の余白に、局名のゴム印を押捺してもらい、旅の記念とするのである。郵便局は、日本全国に2万4574局(平成19年3月31日現在)。いわば、「終わりなきスタンプラリー」である。

以来、今日までに私が訪れた郵便局は、637局。全郵便局の3%にも満たないが、一般の人よりは、郵便局の実状を見てきたつもりである。7冊目に入った通帳を開けば、旅の思い出や、地域の印象が、鮮やかに蘇ってくる。

とりわけ思い出深いのは、静岡県天竜川沿いにある水窪(みさくぼ)郵便局である。同局管内には、道路が通じていない集落があり、局員さんは、雨の日も風の日も、道なき道を40分歩いて、手紙を届けていた。また同局は、人口200人の「日本一のミニ村」として知られた、愛知県富山(とみやま)村(平成17年、「平成の大合併」で消滅)の集配も受け持っていたが、局員さんは、富山村全世帯宛ての郵便物を持って、水窪の駅からJR飯田線の電車に乗り、JR大嵐(おおぞれ)駅前の車庫に止めた集配バイクで、1人で配達に向かうのだった。

地方の町を歩いて、しみじみ感じることは、郵便局こそ地域の「核」であり、なくてはならないもの、ということだ。それは、古代ギリシアにおける「アゴラ」そのものでもある。

泣いても笑っても、郵便局は、明日、「日本郵政グループ」という民間会社に生まれ変わる。これまでどおり地域に愛され、より信頼される郵便局として、力強く育ってほしい、と、ただ、祈るばかりである。