駅長さん

日本郵政グループ」が発足した今日、私は、いつも通りJR西日本お客様センターに勤務していた。9月いっぱいで辞めるつもりが、しばらく残ることになったのは先日書いたが、残った甲斐のある「再会」に恵まれた。

話は、私がまだ高校3年生だった平成12年の秋に遡る。自宅最寄りのJR立花駅の「みどりの窓口」で、私は、駅員さんと論戦になっていた。

ことの経緯は、こういうことである。JRグループでは、乗車券類を、使用開始前、1回に限り、同種類の乗車券類に、手数料なしで変更することができる。JRグループの「旅客営業規則」(以下、単に「規」ということがある)248条1項は、これを「乗車券類変更」と定義している(略して「乗変」と呼ばれる)。

現行の248条1項には「ただし、次の各号に定める乗車券類の変更については、これを同種類のものとみなして取り扱うことができる。」という「但書」があり、その1号に、「普通乗車券相互間の変更」と規定されている。普通乗車券とは、片道乗車券・往復乗車券・連続乗車券の3つを指すから(規18条1号イ)、現行制度の下では、片道乗車券を往復乗車券に変更することや、その逆もまた可能であるのは、文言上明らかである。

ところが、平成12年当時の規則には、248条1項但書1号は存在しなかった。立花駅の窓口で、往復乗車券から片道乗車券への乗変を求めた私に、駅員さんは、「乗車券の種類が違うので、できません」と、言った。そんなはずがあるか、と、私は、直ちに規則の閲覧を申し出た。いまは、旅客営業規則の全文がウェブに掲載されているが、当時は、駅で、辞書のように分厚い冊子を見せてもらうしかなかった。

勇躍して、乗変の根拠条文たる248条を開いたが、そこには、私の期待するような文言はなかった。そこで、私は、18条1号イに助けを求め、片道も往復も、同じ「普通乗車券」の一種ではないか、と力説した。駅員さんも、自信がなくなったのか、「神戸支社の営業課に照会してみます」と、言った。

…かように、およそ「普通の客」とは言い難いやり取りをしていた私に興味をもったのか、はたまた、不審者の「職務質問」目的かは知らぬが、窓口の奥から、立花駅の駅長が出てきた。これが、Y駅長(当時)と私との出会いだった。Y駅長は、「駅長として責任をもって、この件に回答します」と約束してくれた。

1週間ほどして、立花駅の係長(「助役」に相当)から家に電話があり、神戸支社からの回答が届いたから、駅に来てくれ、とのことだった。当時、高校の「卒業アルバム」の編集委員も務めていた私は、ちょうど原稿の締切に追われて忙しく、時間がとれたのは、もう12月に入ってから、寒い日の夕方だった。世間では、野中広務氏が自民党の幹事長を辞任したニュースで持ちきりだったのを、覚えている。

出迎えてくれたY駅長は、「みどりの窓口」の裏側を通って、事務室に招き入れてくれた。警戒が厳しくなった今では、考えられないことである。Y駅長は、「立花駅長」名で作成された文書を、「神戸支社からの回答です」と言って、私に渡した。

だが、Y駅長が、わざわざ応接室に通してくれたのは、決してそれを伝えるためではなかった。どうやら、私という人間に、興味をもったらしい。私たちは、1時間ほど、いろいろ話をした。学校の話、政治の話、そして、共通の話題・鉄道の話…。帰り際、駅長は、翌年・平成13年版の「JRカレンダー」を、私にくれた。

以来、立花駅でY駅長を見かける度、挨拶してきた。高校の卒業式に合わせて、「卒業記念きっぷ」を制作した時は、立花駅に、JR西日本本社の鉄道本部営業部(当時)とのパイプ役になっていただいた。大学入試の合格発表の帰り道には、その足で、立花駅の駅長事務室を訪ね、合格を報告した。

その後も、ホームを掃除中の駅長と一緒になり、敬礼で見送ってもらったりもしたが、いつしか、立花駅で会うこともなくなった。徐々に駅員も入れ替わり、「Y駅長はどうされたのですか」とも聞けずじまいだった。

そして、7年後の、今日。来年度の新入社員が、内定式を済ませ、お客様センターの業務見学にやってきた。見るでもなく、その一団を見やった私は、思わず、「二度見」してしまった。

一団を引率してきた社員こそ、Y駅長その人であった。私は、席を立って、Y駅長のところへ駆け寄った。

Y駅長は、私の姿を認めた。一瞬、表情が動いた気がしたが、覚えていただいているか、自信がなかったので、
「Yさん、以前、立花駅の駅長をされていた―」
と、声をかけた。

「stationmasterです。お久しぶりです」
と、名乗ると、Y駅長は、
「覚えていますよ。あの時は、おかげで、社員全体のレベルアップにつながりました」

…この言葉、なかなか咄嗟に言えるものではない。

私は、現在の身上を、かくかくしかじかと話した。Y駅長は、笑顔で「そうですか」と大きく頷くと、「今度、本社に遊びに来てください」と、言った。

Y駅長は、駅長でなくなった今もなお、私にとって、「駅長さん」そのものなのだった。