日本外交よ、主張せよ

19世紀末から20世紀初頭、同じことが起こっていれば、ミャンマービルマ)は今頃、日本の植民地となっていたに違いない。ミャンマー最大の都市・ヤンゴンで、日本人カメラマンが、取材中に「射殺」された事件である。

国際場裏を支配する大原則に、「主権平等」原則がある。大きな国も小さな国も、先進国も途上国も、国家はすべて「対等」である。だからこそ、中国・韓国が、わが国に対し、総理大臣の靖国神社参拝を「やめろ」などと厳命するがごとき「内政干渉」は、無礼極まる越権行為であるのはもちろん、国際法違反なのだ。

ところが、例外的に、他国に対する口出しが許される場合がある。国家責任の追及として、いわゆる「外交保護権」(right of diplomatic protection)が行使される場合である。外交保護権とは、自国民が在留国(他国)で損害を被った場合において、在留国の国内手続では適切な救済を得ることができないとき、国籍国が、自国民「のために」(on behalf of)、被侵害法益の回復を求める権利である。

19世紀、スイスの国際法学者・ヴァッテルは、「自国民の損害=国家の損害」と位置づけ、主権者たる国家は、加害者に「復讐」しなければならない、と説いた。この学説は、欧米列強の「重商主義」政策とマッチし、植民地化の過程で、外交保護権を口実にした派兵や干渉が「濫用」された。

ところで、今回の事件を受けての日本政府の対応は、まるで腫れ物に触るようである。戦前なら、「自国民保護」名目で軍隊派遣に突き進んだであろうが、合衆国や英国がミャンマー軍事政権に対する制裁強化を矢継ぎ早に打ち出したのに対し、福田首相は「直ちに制裁がいいとは思わない」と述べている。

われわれは、昨年夏、ミャンマーを訪れ、彼の地に譲渡された日本の鉄道車両(キハ58系)の活躍を取材した。鉄道写真も自由には撮れない、ぎすぎすした国であったが、出会ったミャンマー人たちは、驚くほど親日的だった。それもそのはずで、ミャンマー人にとって、日本は、英国による植民地支配から解放してくれた「英雄」なのである。

経済制裁が強化されれば、ガソリン代の高騰を受けてただでさえ厳しさを増している市民生活は、ますます困窮することになる。同じアジアの仲間として、親切なミャンマーの人たちが苦しむ姿は、見るに耐えない。

日本が一定の影響力を保つミャンマーに対してこそ、できることがある。それは、制裁に急ぐことでも、「極めて遺憾」といった何を言っているのかわからないような対応に終始することでもない。「主張する日本外交」の真価が問われている。