死してこそ九段に香る若櫻

九州周遊最終日のきょうは、鹿児島から、日本最南端を走るJR指宿枕崎線とローカルバスとを乗り継ぎ、薩摩半島の知覧にある、特攻平和会館を訪れた。当地は、大東亜戦争末期、敵に占領されつつあった沖縄方面への「特別攻撃隊」の出撃基地となったところである。

資料館の中は、一面、今の私より若くして散華あらせられた、17歳からの英霊の写真、出撃前に家族に宛てた辞世の書で、埋め尽くされていた。

それらを一つひとつ見てゆくのは、1時間の見学時間では到底不可能だったが、御霊の強い決意と覚悟に、敬服せずにはいられなかった。そのなかでも、とりわけ印象に残っているのが、昭和20年6月22日に散華された、原田大尉の辞世である。私の記憶だけが頼りなので、不正確ではあると思うが、引用させていただきたい。

『君のために地獄に行く。極楽でもある。たかが五尺の体を、五万トンの棺桶に沈める。どうして永遠たらざるを得ん。
(中略)
征く者は風のように気易い。されど残されし者には不帰鳥の慟哭(どうこく)がある。情(なさけ)は涙だ。そして愛はせつない。
しかし忠こそ至上だ。大日本帝国万歳。トワ(永久)ニ幸アレ。幸アレ。幸アレ』

今日の日本の平和と繁栄は、ひとえに彼らの犠牲の上にある。内閣総理大臣が、さらには陛下が、靖国神社に参拝することすらできないこの国を、「靖国で会おう」と誓い、九段の桜のごとく散っていった英霊は、どのようにご覧になっているのだろうか。