秋田市民になりました

今週火曜日、裁判所での事前ガイダンスに合わせ、再び秋田へ。

同期の修習生とも初顔合わせだったが、総勢わずか16名(うち女性は4名)。1日で顔と名前を覚えられる人数である。「新61期」各位で、これより少ない配属庁の方がおられたら、ぜひコメントをいただきたい。

関西人は、当然のように、私ひとり。出身ロースクールは、東大・京大が1名ずつ(後者は私)、東北大が数名いるほか、関東圏の私大が中心であった。

関西ローカルネタ、「青色」のJRマーク、「ボケ・ツッコミ」が通じるのは、全国各地を転勤してきた裁判官だけ、という有り様で、赴任前から、早くも関西が恋しくなった。所長が、大阪地裁時代、尼崎にお住まいだったことや、ある裁判官の前任地が神戸地裁伊丹支部だったと知るだけで、涙が出そうになった。

生まれてから、ずっと関西(京阪神)にいた私は、「故郷」というものを意識したことがなかった。もちろん、関西に愛着はあるが、それ以上に、「日本国内に遠いところなし」が信条だった。

だが、秋田の地で、私は、言いようのない淋しさを覚えた。けだし、関西は、はるか彼方なのであった。それは、異国の地でいっそう強く感じる、「日本」への思いと似ていた。

翌日、裁判所の目と鼻の先にある秋田市役所に、転入届を出しに出向いた。

兵庫県からの転入ですね」
と、市役所の係員は、粛々と手続きを始めた。私は、「やっぱり、やめます」と言いたくなるのを、必死でこらえた。市役所の前で、スーツの胸元に「緑色」のJRマークを着けた、JR東日本秋田支社の社員さんとすれ違ったのは、唯一の救いであった。

さて、秋田修習が決まった私に、友人たちは、「秋田は美人が多いから」と、激励とも慰みともつかぬ言葉をかけてくれた。この世に、絶えて鉄道と美しい女性なかりせば、生きている意味がない、と思っている私だから、秋田美人は楽しみであった。

ところが、秋田に数日間滞在した限り、「美人県」がどうも実感できないのである。私は、無礼を承知で、秋田出身の同期に尋ねてみた。

「それはそうだよ。みんな、大学から東京とか仙台に出てしまうからね。秋田には誰も残ってないよ」

………。少し考えれば、わかることではあるが、私は、頭を殴られた気がした。美人県・秋田を支える女性は、女子高校生か、「奥様方」ばかりなのであった。