国際法マニアのつぶやき

「十年一昔」というが,この10年で,世界地図がこれほど大きく変わったのは,バルカン半島をおいて他にない。

国連の仲介で暫定統治が続いてきたセルビア共和国コソボ自治州が,昨日,「独立」を宣言した。セルビアと,セルビアの「後見人」的存在であるロシア連邦は,コソボ独立に強行に反対しており,セルビアは,コソボを「国家承認」した国から特命全権大使を召還する意向を示してもいる。

法律学を少しかじった人なら,「国家の三要素は」と問われると,反射的に「領域・国民・統治権」と答えられるだろう。ドイツの国法学者・イェリネックによる定義であるが,このくらいなら,どんな「憲法」の教科書にも書いてある。

しかし,その「当てはめ」となると,なかなか難しい。一見,三要素を備えているように見えても,外交関係能力を欠いていれば,国家ではない。さらに,戦後は,集団的不承認といって,国際社会からは政治的理由でいわば「集団無視」されるケースもある。私が昨年6月に旅したジンバブエは,かつて英国の植民地(南ローデシア)だったが,1965年,白人のスミス政権は,「ローデシア」として一方的に独立を宣言する。しかし,アパルトヘイト(人種隔離政策)を採っていたため,国際社会からは国家承認されず,承認したのは南アフリカだけだった。そして,1980年,黒人指導者・ムガベの下で,「ジンバブエ」として正式に「独立」する(もっとも,今はムガベ独裁体制の影響で,経済が崩壊しているのだが)。

コソボについては,「民族自決」の観点から,独立を支持してきたアメリカ合衆国EU諸国が国家承認する見込みで,日本政府も,今日の外務事務次官会見で,国家承認する方向で検討,と発表した。今後,国連への加盟にあたっては,安保理の勧告に基づき,総会で承認されることが必要であるが(国連憲章4条2項),安保理でロシアが「拒否権」を行使するか,興味津々である。

10年前,バルカン半島には,まだ,「ユーゴスラヴィア」という国があった。ちょうど10年前の今頃,長野オリンピックに日本中が熱狂したが,これに参加したのも,ユーゴスラヴィアであった。

もっとも,このユーゴスラヴィア(以下,「新ユーゴ」)は,1944年にチトー大統領が首班となって構成された「ユーゴスラヴィア社会主義共和国連邦」(以下,「旧ユーゴ」)とは別物である。1992年から始まり,戦後ヨーロッパで最多の犠牲者を出したボスニア紛争は,旧ユーゴの崩壊過程で起こった悲劇であった。昨年2月26日には,国際司法裁判所が,ジェノサイド(大量虐殺)防止条約適用事件において,原告・ボスニア・ヘルツェゴビナの賠償請求を棄却しつつ,被告・新ユーゴにはジェノサイド行為があった,と認定した。
(この点につき,2007年2月27日付け小欄「サラエボの銃声」http://d.hatena.ne.jp/stationmaster/20070227/参照)

新ユーゴは,2003年,「セルビア・モンテネグロ」に国号変更し,さらに2006年には,モンテネグロが分離独立し,現在のセルビアとなっていた。

「ヨーロッパの火薬庫」といわれ,幾度となく大戦の引き金となってきたバルカン半島。今度こそ,平和を勝ち取ることを願ってやまない。