亡国のイージス

この件について,私は努めて何も言うまい,と思っていたが,書かざるを得ない情勢となってきた。おわかりのように,海上自衛隊(海自)の護衛艦「あたご」と,民間漁船との衝突事故である。

最初に断っておくが,私は,海自を擁護するつもりはないし,安否不明の漁船乗組員2名が,一刻も早く発見されることを祈っている。

まず指摘せねばならないことは,本件をめぐるマスコミの報道姿勢についてである。漁船乗組員の家族や,漁協の関係者が,海自に対して厳しい意見を述べられる心情は理解できる。しかし,公正・中立を銘とすべきNHKまでもが,「2人は国に殺された」「最新鋭のイージス艦が,何だ」というような感情的発言を,繰り返し垂れ流し,「軍隊があるから,こういう事故が起こる」と主張したがる「反戦平和」派を焚きつけているのは,理解に苦しむ。そもそも,「あたご」と漁船のどちらに過失があったのかも含め,本件事故の原因は未解明なのである。

それはちょうど,3年前の福知山線列車事故で,JR西日本の一挙手一投足を論(あげつら)い,純粋に鉄道工学(技術)の観点から論じるべき「安全」論からはかけ離れた方向に暴走したのと似ている。

口先では「原因究明」を声高に叫びつつ,空想と感情論で海自を批判し続けるメディアは,行方不明者の立場など顧ることなく,ただ本件事故を自らの政治的主張に利用しているにすぎない。学究的見地からなされるべき事故原因の解明のうえで有害無益な,「社会の木鐸」としてあるまじき姿勢である。

また,民主党をはじめ,野党が,「石破防衛相の更迭」を主張しているのは,まったく的外れな議論で,事あれば「政局」にしようとする卑怯な手法と断ぜざるを得ない。原因もわからぬまま,大臣を更迭して,何か意味はあるのであろうか。

事故原因の解明は,専門の海上保安庁に委ねればよいのだ。テレビには,「海難事故専門家」と称する人物が現れ,もっともらしい模型を使って講釈しているが,素人の国民相手にそんなことを言っても,およそ意味はない。本件について,われわれが考えるべきは,安全保障上の問題点である。

本件事故の過失がどちらにあったにせよ,イージス護衛艦が,結果的に漁船との衝突を避けられなかったことは,由々しき事態である。もし,相手が,敵意をもって突っ込んでくる自爆テロ工作船であったら,どうなっていたであろうか。「テロとの戦い」上の懸念もさることながら,万一,イージス艦が使えなくなるようなことがあれば,「ミサイル防衛」は機能せず,国防上,深刻な危機を生じる可能性があった。

メディアのなかでも,『産経新聞』は,このような問題意識を踏まえ,「事故は,太平の世における戦闘集団に『常在戦場』への意識革命を突きつけた」と,海自の危機管理態勢を厳しく指弾している。われわれに求められているのは,まさに,この姿勢に他ならない。

戦後60年日米安保体制に守られるなかで,能天気かつ独善的な一国平和主義を掲げる「憲法9条」を妄信し,戦争に対しては「見て見ぬ振り」を決め込み,国防・軍事をタブー視してきた日本国民の劣化ぶりに,改めて戦慄を覚える。