聖火リレーは 何を運ぶ

ご承知のとおり,チベットでの中国・人民解放軍による強権的民族弾圧・人権蹂躙に抗議する国際世論の高まりを受けて,北京五輪の「聖火リレー」は,世界各地で妨害に遭い,混乱以外の何物ももたらしていない。

産経新聞」をはじめ,中国とはとかく対立することが多いわが国の保守派論壇は,北京五輪への根本的懐疑もあって,聖火リレーへの妨害を,楽しんでいるようにも見受けられる。

私は,平成13年7月,北京が2008年五輪開催地に決まったその瞬間から,一貫して,「人権無視の中国に五輪開催資格はない」と主張し,北京五輪に反対してきた。しかしながら,現状のような聖火リレーへの妨害は,逆効果でしかないと考えている。

報道の自由」のない中国において,聖火リレー妨害は,中国に対する「挑発」行為として,あたかも自国が一方的な「被害者」であるかのように報じられており,漢民族の排外的ナショナリズムを煽るだけだからである。そこには,チベット弾圧に対する反省など,微塵もない。中国全土で,フランス資本のスーパー「カルフール」商品の非買運動が広まっているといい,3年前の「反日暴動」を彷彿させる。

中国に対する抗議は,聖火リレー妨害などという卑怯な手段ではなく,正々堂々と主張しなければならない。日本の政財界要人は,普段は威勢のいいことを言っていても,中国首脳と謁見するや否や,とり憑かれたように「日中友好」を言い出す者が多いから,要注意である。昨年12月,北京に詣で,胡主席と会うや否や,「握手までしてくださるなんて」と,満面の笑みを浮かべた民主党の小沢代表など,その典型である。

それにしても,五輪への期待感を世界に「お裾分け」するはずの聖火リレーを,全世界的な妨害に遭遇するなかで,あえて実施する意義は,どこにあるのだろう。聖火リレーに対する物理的な妨害は,それ自体犯罪となりうる行為であり,各国が取り締まるのは当然としても,経済成長を続ける中国との関係を慮って,聖火をつないでいるのだとすれば,実にさもしい。

今度の土曜日,聖火は,長野にやって来る。混乱のなか,見せかけの「日中友好」をつなぐだけの聖火リレーにならないことを祈る。