ください,その命。

硫化水素といえば,中学・高校の理科の授業で,一度くらい作ったことのある人が多いだろう。腐卵臭のする,あの気体である。

理科実験で少量の硫化水素を発生させたくらいなら,鼻をつまんでいれば済むが,ホテルや浴室等で高濃度のガスを発生させて,自殺するケースが相次いでいる。

「自殺」に関しての私見は,以前,平成18年10月30日付けの小欄「死に急ぐな―『葉隠』が語るもの」で書いたとおりだが(http://d.hatena.ne.jp/stationmaster/20061030/1162220505/参照),昨今の「ファッション」感覚の自殺には,怒りを禁じえない。

法律家というのは,人の不幸で飯を食う,卑しい仕事であり,仕事柄,理不尽な死を目にする機会が多い。実母とその愛人から虐待された挙げ句,用水路に投げ込まれて殺された男児。スピード違反の自動車にはね飛ばされ,即死した女児。胎児が通常の分娩に耐えられず,帝王切開で出産したものの,植物状態が続く新生児…。

彼(女)らは,どんなにか,生きたかったことだろう。まだまだ,やりたいことがいっぱいあったはずだ。

自殺のニュースを聞く度,「無駄にする命があるなら,その命をくれ」と,思わずにはいられない。生きたい人が命を奪われ,その一方で,命を持て余す人がいる。まったく,神さまも意地悪なものである。

この世の中,「なにか楽しいこと」が,手ぐすねひいて待ってくれているわけではない。生きてゆくのは,辛く,苦しいことでもあるのだ。

生命に対する価値観の崩壊というモラル・ハザードが,この国を襲っている。自殺する者が,「死にたいときに死ぬのは自由」と考えているのだとすれば,彼らもまた,「個」を強調するあまり「社会」を見失った,日本国憲法ないし戦後民主主義の犠牲者というほかない。