福田さん,あなたは日本を潰す気か

この総理にして,この辞め方あり―。

近年まれに見る無能な総理は,最悪の辞め方で官邸を去った。辞任会見を少し見たが,何を言いたいのかさっぱり分からず,去るなら早く去ってくれと思うばかりであった。

辞め方(総辞職のやり方)としては,民主党が主張するように,衆議院を解散し,総選挙を経るのが筋だ。福田総理は内政混乱の責任を取ったつもりかもしれないが,深刻な政治空白を作り出しただけで,責任の取り方を知らないリーダーなど最悪である。

靖国参拝を問われて「お友達が嫌がることはしない」に始まり,中国製「毒餃子」殺人未遂被疑事件における「中国当局は非常に前向き」発言,そして,今般の辞任会見で得意げに語った,政策(?)の自画自賛に至るまで,福田総理の発言は,語れば語るほど,自らの不見識をさらけ出すものだった。

無能な総理が退任したという意味では,福田総理が早く辞めてくれたのは,国民にとっては良かった。しかし,国際場裏におけるわが国の信用を考えたとき,選挙も経ずに,政権を放り出す無責任総理の率いる国は,信用してくれという方が無茶である。

福田総理が決定的に間違っていたのは,戦後民主主義ないし空想平和主義的な「話せば分かる」幻想から抜け出せず,結果的に,国際的信用を失墜させ,国民生活を大混乱させたことだ。インド洋におけるテロとの闘いからの一時離脱,媚中外交,ガソリン税をめぐる攻防…。万事がその調子であった。

辞任会見で福田総理は,「国民目線の改革」が成果だと強調した。しかし,そういうことを口にする時点で,総理たる資格はないといわねばならない。いつの世も,大衆は右往左往し,勝手なことを叫ぶ。無知な大衆に政治ができる訳はないのだから,国家をあるべき方向に導くことこそ,天下国家を論じる能力を備えたエリートの役割であり,国の舵取り役としての内閣総理大臣の職責である。

「国民」を主体に据えるのは,確かに聞こえは良い。しかし,それは優秀なリーダーの下でこそ意味を持つ。そうでなければ,「船頭多くして船山に登る」,衆愚政治の弊に陥るだけである。