グッバイ・ジェントル・ランド

中学高校時代の「席替え」に始まり,およそ,いったん落ち着いた場所から移動することの嫌いな私にとって,今日は,目の回るような一日である。呑気に日記を書いている場合ではないのだが,後世の記録のためにも書き記す次第である。

まず,明日から一週間の東京出張の準備をせねばならない。これは,普段の旅の荷造りのようなものだから,なんとかなるだろう(進行率0%)。

問題は,引越し準備である。

再来週,東京から実家経由でいったん秋田に戻った後,すぐに埼玉県和光市司法研修所に異動なので,和光の寮に送る書籍や身の回り品などの荷造りを終えておかねばならない。ダンボールに詰め込み,秋田に戻り次第,ゆうパックで発送できる状態にしておくのである(進行率75%)。

そして,秋田の家を9月限りで引き払うことにしたので,家具,生活用品等で不要不急のものは,尼崎の実家に送り付ける。実家への引越しにあたっては,先ほど,引越業者2社に見積りに来てもらい,契約を済ませた。引越し作業は,今月26日(金)の予定である。

現在,物品を手当たり次第に,実家宛てと和光宛てに「大区分」しているところである。不要な書類なども多いが,秘密保持上,そのまま捨てるわけにいかないので,いったん,実家に送ることにした(実家には,シュレッダーがある)。

それにしても,秋田で過ごした10か月は,あっという間であった。来る日も来る日も,雪に覆われていた冬が懐かしい。

修習でも,第一クールの刑事裁判は,とりわけ思い出深い。今でも夢に出てくるのは,某重大事件の評議をしていたころの刑事部裁判官室の光景である。

公私ともにいろいろあったが,「竿燈祭り」に始まった夏は,一瞬で過ぎた。

昨日,秋田地検を離れるにあたり,検事正室へ挨拶に伺った。決裁を受けるために何度も通ったのを思い出し,緊張しながら挨拶の辞を述べようとすると,検事正は
堅苦しい挨拶はええ」
と,手を振られた(ちなみに,検事正は京都出身なので,私と話す時は関西弁になる)。

そして,
「いつか,一緒に働けたらええな」
と,おっしゃった。

私は,「はい。その日が来るのを楽しみにしています」と答え,深々と頭を下げた。

秋田よ,さらば!
私は,いつか,この地に帰ってくる。