平成20年を振り返って

1万7331マイル(2万7890キロ)。

これは,この一か月の私の総飛行距離である。まだ日記には書いていなかったが,12月1日から6日まで,アメリカ大陸横断の旅・後編に出かけ,13日から15日までは沖縄・八重山諸島,さらに19・20日は実務修習地の秋田へあいさつ回りに行ったりしたので,12月だけで12回飛行機に乗ることになった。

二回試験終了直後の12月1日,私は,シカゴへ飛んだ。今年夏,サンフランシスコ〜シカゴ間を2泊3日かけて走る「カリフォルニア・ゼファー」号に乗ったので,その続き・シカゴ〜ニューヨーク間の「レイクショア・リミテッド」号(訳すと「湖岸特急」)に乗り,アメリカ大陸横断を成し遂げた。

12月の初めというのに,シカゴから北東部にかけては大雪で,雪煙を巻き上げながら走る列車に乗っていると,そこが北海道のようにも,シベリアのようにも思われた。シカゴからニューヨークまでの所要時間は約20時間で,日本最長距離を走る大阪−札幌間の「トワイライトエクスプレス」に匹敵するが,夏の50時間と比べると,物足りない。ニューヨーク到着直前,列車は,イーストリバー対岸からマンハッタンを右手に見て走る。2001年3月以来,7年ぶりのニューヨーク。確かにあったはずのワールドトレードセンター(WTC)のツインビルは既になく,私は,本当にニューヨークに着いたのだろうかと思った。

私は,どちらかといえば,田舎を旅するほうが好きだが,欲望渦巻き,刺激したたるニューヨークは,この街にしかない魅力がある。タイムズスクエアに立ち,ネオンの洪水に溺れていると,最近かまびすしい「エコ」だの何だの,どうにでもなれ,と思う。ニューヨークの国連本部に駐在している北朝鮮の国連代表部の外交官たちは,どういう思いで,この街を眺めているのだろうか。

ニューヨークでは,一日かけてメトロポリタン美術館を見学し,夜は,ブロードウェイに,ミュージカル「マンマ・ミーア!」を鑑賞しに出かけた。「マンマ・ミーア!」では,ABBAのヒット曲が20曲以上,惜しげもなく披露される。「マンマ・ミーア!」は,来年1月に映画化されるようなので,そちらも楽しみだ。

12日の面接後,13日から,ロースクールの同期とともに,沖縄・八重山諸島に出かけた。鉄道を愛する私は,長らく,鉄道のない沖縄なんて,と思ってきたが,去年,高校時代の友人と沖縄本島を旅行して以来,沖縄は沖縄で好きになっている。

石垣島を拠点に,離島へ渡ったり,スキューバダイビングをしたりしたが,高波の影響で,(一般人が渡航できる)日本最南端・波照間島には行けなかったのが心残りだった。

竹富島

イリオモテヤマネコのシーサー(?)が見守る,西表島の郵便局。

西表島マングローブ

小浜島の展望台から。

サトウキビ畑。

ダイビング中(左から2人目が私)。


19日は,法務省の寮への引越し作業もそこそこに,秋田へ飛んだ。秋田で,秋田の同期と再会し,裁判所・検察庁弁護士会の指導係各位にあいさつをし,各庁会の指導担当に1期下の秋田配属の修習生も交え,秋田時代に通いなれたバーで,飲んだ。北国秋田だが,その空間には,ほっとする暖かさがあった。

弁護修習で私の指導担当だった弁護士の先生(M先生)も来ていただいたが,先生は,お帰りになる前,私と同じ班だった3人の元修習生のところを回って,何かお話しされていた。私は,特段,気に留めていなかったのだが,しばらくして,3人が,私のところへやって来て,異口同音にこう言った。

「M先生,超熱くて,本当にいい先生だよ。『stationmaster君は一人だけ検事になって,淋しいと思うから,これからも仲良くしてやってくれ』って,涙ぐみながらおっしゃってたよ」

先生の涙に引きずられたのか,3人のうち2人も,泣いていた。

M先生は,優秀で,お茶目なところのある先生で,私とは「名コンビ」といわれていたが,先生の思いの深さは,嬉しかった。私は,慌てて,先生を追いかけた。

今年・平成20年を振り返って,真っ先に思い出すのは,秋田で過ごした冬である。ちょうど弁護修習が,1月末から3月末までの2か月で,修習生の一日は,事務所前の道路・駐車場の雪かきから始まったものだ。

この1年,秋田を楽しみ,かけがえのない出会いに恵まれ,御神助も得て11年来の夢をかなえた。平成20年は,生涯忘れえぬ1年である。