福岡市民になりました

3月25日、旧職場で配置換の辞令を受け取った私は、その足で福岡に来て、官舎への入居手続を済ませた。

私に割り当てられた官舎は、福岡市城南区の住宅街にある。間取りは、一人暮らしには十分すぎる3DKで、家賃は月額約1万2000円。役所からは直線距離で4キロ余り、自転車で約20分で通勤できる。

これだけ聞くと、「やっぱり公務員はお手盛りだな」と、思われるかもしれない。しかし、さにあらず。

昭和44年しゅん工・築41年の官舎は、想像を超えていた。

一帯の官舎を管理している管理人と一緒に部屋に赴き、古めかしいドアを開けた瞬間、よどんだ空気が鼻をついた。室内のドア(「キュルキュル…」と、ものすごい音を発してスライドするガラス製引き戸)の取っ手にはほこりが積もり、どれだけ善意に解釈しても、廃屋同然であった。

「ご覧のとおりで、もう2年後には取り壊すそうですから、退居時の補修は問題にならないと思います」

人のよさそうな初老の管理人は、私の表情の変化を読み取って、そう言った。しかし、今の私にとっては、退居時の補修云々はどうでもよく、退居までの生活をどうするかが大問題である。

考えてみれば、この官舎が建てられた昭和44年といえば、私が大好きで日本中追いかけた気動車ディーゼルカー)・キハ58系の最後期車が製造されたころに当たる。キハ58系は、増備に増備を重ね、全国で3000両もの勢力を誇ったが、国鉄のJR化後、老朽化により廃車が進み、今や、代替部品の調達も困難な状況となり、JR西日本に6両、JR九州に2両が残るのみとなっている。

そう思うと、キハ58系と同じ時代に生まれた官舎が、無性に愛おしくなってきた。キハ58と共に、日本の高度成長を支えてきた偉大な官舎なのだ。もっとも、そうでも考えないと、室内の掃除だけでも気が滅入りそうであった。

官舎のつくりは、昭和40年代前半の生活水準を色濃く反映している。思いつくままに、一例を挙げてみる。

  • お湯は、基本的には風呂でしか使えない。洗面所や台所でお湯を使うには、今ではほとんど製造されていない「ガス湯沸かし器」を別途自前で取り付ける必要がある。
  • 室内に、洗濯機を置くスペースはない。室内に置こうとすると、風呂場の前の洗面台を使用停止にして、無理やり置くしかないが、排水は風呂場に垂れ流すしかない。
  • エアコンなど、一般家庭にはないのが前提であるので、壁に配管用の穴は開いていない。窓の上部小窓を開けっ放しにして、パイプを通した上で、パテやガムテープなどでふさぐ必要がある。
  • その前に、電気容量の引上げを電力会社に頼んでおく必要がある。さもないと、エアコンと電子レンジを同時に使っただけで、ブレーカーが落ちる。
  • 窓の内側にカーテンレールは1本しかなく、レースのカーテンは設置できない。ついでに、窓には網戸もなく、窓もカーテンも、「開ける」か「閉める」かしかできない。
  • 風呂釜のガスは、ガス会社の人に教えてもらって、コツをつかまないと、点火すらできない。

ざっと、こんなところである。

「一体、どんなところだ」という、怖いもの見たさでもよいので、御関心の向きは、ぜひ福岡へおいでください。

明日、役所に着任する。