もう許さない!高速道路政策の無定見

もはや、理解不能である。民主党政権の「指揮官不在」ぶりは目に余るが、その最たるものの一つが、高速道路政策である。

長年、我が国の高速道路は、旧日本道路公団が建設主体となって整備を進めてきた。その結果、高速道路未整備地域は、今も、ごく一部には存在するものの、基本的には全国ネットワークの完成を見た。平成15年の道路公団民営化で、高速道路の料金収入は長期債務の返済に充て、なお真に必要な高速道路は、国の責任で整備することとされた。

高速道路は、自動車輸送における高速性という付加価値を提供するものであるから、その便益を享受する利用者が、必要なコストを負担することは、当然の道理である。高速道路の無料化は、費用償還が終わった後で考えるべきものにほかならない。

ところが、自公政権時代の昨年3月、いわゆる「高速道路休日1000円」施策(以下、「1000円施策」という)が2年間の期限付きで始まったことで、「受益者負担」原則が狂い始めた。

「1000円施策」は、本来あるべき料金収入を減少させることになるため、その補填として、国は、3兆円の財源を用意した。この財源は、かつて存在した道路整備特別会計ではなく、一般会計である。いわば、税金により、全国民が、高速道路にかかる費用を肩代わりする構図となった。

「1000円施策」が、我が国の運輸業界に与えた負の影響は、計り知れない。マイカーが休日に高速道路に集中したことで、定期路線バスやトラック便の定時性が損なわれた。ただでさえ、厳しい経営が続いていた長距離フェリーは、利用者が激減し、いくつもの航路が消えた。また、鉄道の特急列車や高速バスの利用者減少により、それぞれの輸送モードにおいて「ドル箱」だった路線の収益が低下し、これらの収益による社会的内部補助で支えられてきたローカル輸送を切り捨てざるを得ない状況になっている。

国は、税金を投入してまで、輸送市場における公正な競争環境を破壊した。鉄道、バスなどの事業者の経営努力も「焼け石に水」の状況であり、このまま「1000円施策」が続けば、地方の公共交通は壊滅することになる。国の高速道路政策によって、地域の足が奪われるわけだが、その矛盾を、国は直視しようともしない。

昨年12月、民主党小沢幹事長は、さらなる高速道路整備を望む地方の意見を受け、「1000円施策」を終了し、その財源を高速道路建設に振り向けるよう指示した。平成15年に決まったはずの高速道路整備スキームをいとも簡単に変更することになるばかりか、「無駄な公共事業の削減」などと声高に叫んできた民主党の政策とも矛盾する。民主党における「良心」ともいうべき前原国交相は、当初、もちろん反対したが、小沢幹事長の意向に沿って、いわゆる「高速道路新料金制度」がまとめられることとなった。

この新制度は、高速道路料金を上限2000円とする代わりに、「1000円施策」などの割引を廃止し、高速道路建設のための財源をひねり出すものであった。

ところが、「実質値上げだ」という反発が強いと知るや、4月末、小沢幹事長は、自らが言い出した新制度に「待った」をかけた。

そもそも、「1000円施策」は、時限措置であって、その終了は、「値上げ」でも何でもない。高速道路整備を新たに進めるのであれば、その追加コストを高速道路利用者が負担するのは当然のはずだが、「選挙」しか頭にない小沢幹事長は、そのような論理的思考ができないらしい。

さすがに、前原国交相は、小沢幹事長に対し不信感をあらわにし、「高速道路を作れと言いながら、料金は上げるな、と二律背反のことをおっしゃっている」と痛烈に批判した。前原国交相こそ正論なのだが、民主党は、結局、新料金制度の先送りを決めた。

高速道路料金をめぐる一連の混乱は、政策の無定見の表れである。そして、そのせいで、本来消えなくてもよかった地域の足が失われてゆくことに、深い憤りを覚えざるを得ない。