金融制裁は「制裁」に非ず

 先日(2日)、JR大阪駅前の交差点で、左翼活動家が熱弁を奮っていた。全く気にも留めずに行き交う人がほとんどだったが、概略次のような内容であった。
「国連の北朝鮮制裁決議は宣戦布告と同じ。船舶検査は戦争。日本を戦争に引き込む安倍首相を(以下略)」

 どこで、どう、生き方を間違ったら、このような単細胞的発想が生まれ出てくるのだろう。そんな日本国内の一部の動きに呼応したのかは定かでないが、北朝鮮朝鮮中央通信は、「朝鮮半島非核化を話し合う6ヵ国協議に、日本は参加する資格はない」などと論じた。

 自ら核実験を強行しておいて、「非核化」とはどういう理屈なのか、あの国の思考回路は常人には理解不能だ。一方、気がつけば北朝鮮の「良き理解者」となった韓国は、6ヵ国協議復帰を評価して「太陽政策」を再開する方針と聞くから、あきれ返る。

 さて、次回の6ヵ国協議では、「非核化」を議論する全体会合と並行して、米国が北朝鮮に課している「金融制裁」についてのプロジェクトチームが設置される方向だという。事実上の米朝直接協議だが、気がかりなのは議論の行方だ。

 昨年のマカオ銀行口座凍結に始まる「金融制裁」は、先般の核実験を受けた国連安保理決議に基づくものではない。仮に、北朝鮮が核の完全廃棄を確約するなら、安保理決議に基づく制裁(核関連物品・ぜいたく品の禁輸等)の部分的解除は議論されてよいが、金融制裁を同列に議論することはできない。

 というのも、金融制裁は、北朝鮮が、国家的プロジェクトとして偽造してきた「スーパーノート」などの精巧な偽ドル札への対策であって、件の「非核化」とは何の関係もない。俗に「金融制裁」というから誤解を招くが、これは本来の意味での「制裁」ではなく、ただ、法令を厳格に執行しているにすぎない。

 北朝鮮の素っ頓狂な主張を認め、金融制裁を緩和するなど、言い換えれば、偽札を受け入れるということであり、ありえない選択肢である。よもや、法治国家である日本・アメリカ合衆国が、「犯罪者」と取引することはないと信じる。