今年最後の東北へ

くりはら田園鉄道


昨日・今日と、JALのマイル稼ぎをかねて、東北へ出かけた。わずか2日間だが、効率よく「鉄分」(元素記号"Fe"ではなくて、"JR"のほう)補給ができ、よい旅だった。

昨日、大阪8時発のJEX2201便で仙台へ。JEX(JALエクスプレス)は、JALグループのローコストエアラインで、大阪発着のローカル路線を中心に担当している。ローコストといっても、なにも運賃が安いわけではなく、折り返し時の機内清掃を客室乗務員にさせたり、外国人パイロットを雇用したり、機内の新聞・オーディオサービスを省略したり、要するにJAL側のコストを削減しただけである。

低く垂れ込めた雲を抜け、グレーの雲海の上を飛ぶ。当然のことながら、空の上は、いつも「晴れ」だ。窓の外は明るいが、地上はまったく見えない。先述のとおり、音楽も聞けず、手持ち無沙汰なので、機内誌"Skyward"を開く。いつもは、お気に入りの記事をピンポイントで読むが、最初から最後まで熟読する。

1時間飛んで、仙台へ。仙台は「晴れ」予報だったが、一面曇り空である。予想より寒い。5、6℃くらいかと思われる。

旅をするにあたって、服装は頭を悩ます問題である。もっとも、南半球のように、季節が正反対のところへ行くならば、荷物が増えるのを覚悟するだけで、あまり頭を使う必要はないが、そうでなければ、旅先の天気予報に注意する必要がある。

私は、厳冬期用のコート・ジャケットを着用する基準を「最高気温9℃以下」と定めている。出発前の予報では、仙台の最高気温は「8℃」となっていた。基準には該当するが、この程度であれば、薄い上着でも大丈夫だろう。そう判断し、薄いジャンパーを着てきたのだが、甘かったか。

ところで、仙台空港には、来年3月、JR東北本線名取駅から分岐する空港アクセス鉄道(第三セクター)が開業する。ターミナルビルを出ると、工事の仕上げ段階に入っている駅舎が目に飛び込んできた。

一般に、鉄道(新幹線)と航空とはライバル関係にある。アクセス列車は、JRの仙台駅まで乗り入れることになっているが、JR東日本は、よく承諾したな、と思われるかもしれない。が、この理由は、きわめて単純である。

東京−仙台間に航空機は飛んでおらず、この区間の旅客輸送を、東北新幹線が独占しているからだ。仙台空港発着の国内線は、札幌・名古屋・大阪・福岡などとを結ぶ便だが、もともと鉄道のシェアが限られている区間ばかりだ。空港アクセスに協力しても、自社のドル箱路線を奪われる心配はない。JR東日本は、そう判断したのだろう。

ちなみに、まったく逆のケースが、仙台と並ぶ西の中核都市・広島である。広島空港も、広島市内から東に遠く離れた不便なところにあり、広島県などは、JR山陽本線から分岐する空港アクセス鉄道を熱望している。これに対し、JR西日本は、一切協力する姿勢を見せていない。当然である。東京−広島間は、航空と鉄道が、もっとも熾烈な競争をしている区間の一つだからだ。

現状、仙台市内へ出るには、2つのルートがある。1つは、直行のリムジンバスで、所要40分・910円。利用者が圧倒的に多いのは、こちらである。もう1つは、JR館腰駅までのバスと東北本線の列車を乗り継ぐルートで、所要30分(乗り換え時間は含まず)・540円(バス310円・JR230円)。私がどちらを選ぶかは、言うまでもないであろう。

仙台直行便は仙台市の公営だが、館腰駅までの路線は、弱小の宮城交通が運営しているというのも、泣かせる。関係が逆ではないか。

仙台駅ゆきのバスが続行便も出して満員で発車した後、館腰駅ゆきのバスに乗り込んだのは、私を含めて5人であった。

9時42分、12分で定刻に館腰駅に着く。仙台エリアは、Suicaが使える。ということは、ICOCAも使える。バス乗り場側の改札は、ホームに直接面した無人改札口で、ICOCAで改札を抜けると、ちょうど目の前に電車(475系電車)が入ってきた。

9時45分発の仙台ゆきだろう。そう思い込んだ私は、なんの疑いもなく電車に乗り込んだ。

「つぎは、岩沼です」

しまった、と唸った。岩沼は、仙台とは逆方向である。世間一般から「鉄道マニア」とされる者(つまり、私である)が、こともあろうに電車に乗り間違えるとは、目も当てられない。幸い、この区間は電車の本数は多い。憮然として、岩沼駅で下車し、仙台ゆきに乗り換える。

気を取り直して、仙台で乗り継ぎ、東北本線を石越まで下る。なお、ここで「下る」というのは、あくまで東京中心の表現であって、地理的には北上していることになる。

石越から、第三セクターくりはら田園鉄道」(以下、地元の愛称でもある「くりでん」という)が、分岐している。くりでんは、平成7年、経営破綻した栗原電鉄を地元自治体が引き取り、第三セクターとして運営してきたが、経営は好転せず、来年3月で廃止されることとなった。

JRの駅舎を出て、目の前のくりでんの駅に目をやると、いる、いる。めいめい、一眼レフやビデオカメラで「武装」した、私の同類たちである。この人種は、鉄道の廃線が近づくと、それまで見向きもされなかった鉄道に集まるという特性がある。平日の昼間なのに、皆さん何しているのか、と思う。人のことは言えないが。

それにしても、石越駅前の雰囲気といったらどうだ。昭和30〜40年代にタイムスリップしたかのようである。やっているのか廃業したのか、にわかには判然とせぬ定食屋、商店主の氏名を大書きした雑貨屋などが、雑然と、しかし凛として立ち並んでいる。形は奇抜でモダンでも、虚無感漂う高層ビルとは違い、「ここにあるから、ここにあるのだ」と、主張する存在感がある。日本全国、画一的な開発が進み、県庁所在地は例外なく「ミニ東京」になってしまったけれど、まだまだ、素朴な町は残っているものだ。

大いに感心しつつ、駅舎にカメラを向けていると、「NHK仙台放送局」のクルーにインタビューされる。「どちらから」と聞かれたので、「大阪から」と答えると、記者は素っ頓狂な声を上げる。これは使えるな、と思っているのかも知れない。

だが、その後が続かなかった。「くりでんの魅力を一言で言うと、何ですか?」などと、就職の面接のようなことを次々に聞かれたが、私は、ただローカル線に乗るのが趣味であって、それ以上の理由はない。なにしろ、くりでんに乗りに来たのは初めてである。

ある方向へ、答えを誘導しよう、というのが見え見えだったが、どうもやり取りがかみ合わず、そのうちに記者の顔が「これはだめだな」に変わった。

12時23分発の列車(写真)に乗り込んだのは、十数人。所用のお年寄りと、マニアが半々、という乗りである。1両のワンマンカーだから、それなりに乗っているようにも見える。くりでんは、ローカル線にしては本数が多く、昼間も1時間ないし2時間に1本はあるが、利用は定着しなかったのか。

車内には、電飾つきのクリスマスツリーが飾られている。車内にクリスマスツリーのある列車、他にあるだろうか。

くりでんは、先述のとおり、会社としては新しいが、歴史は古く、開業は大正7年(1918)である。90歳を前に消え去ることになるが、タブレット腕木式信号機など、懐旧のアイテムが現役で使われている。全線は20キロ強、現在のダイヤでは途中の行き違いは沢辺駅だけだが、若柳・沢辺・栗駒の各駅で列車交換が可能で、これらの駅には、タブレットを扱う駅長がいる。

ローカル線の小さな駅のホームに、駅長が直立し、敬礼で列車を迎える。私が、いちばん好きな鉄道情景である。合理化が進み、無人駅のオンパレードとなったJRのローカル線では、もうほとんど見られない(有人駅でも、自動化路線ではホーム立掌はない)。

車内では、途中の駅から乗ってきた女子高校生と、乗り合わせたおばあさんが話している。
「○○ちゃん、おかえり。今日は、早いね」
「うん、試験だったの」

栗駒山を望みながら、田んぼの中を淡々と走り、50分で、終点の細倉マインパーク前に着いた。ちなみに、運賃は、20キロで1020円である(JRなら400円)。

列車は、11分の停留で、折り返す。マニアの皆さんも、一緒に折り返す。私は、途中の沢辺駅で降りることにした。

沢辺駅でいったん下車し、列車扱い(タブレット受け渡しなどの閉塞取り扱い)を終えた駅長から、乗車券と入場券を求める。どちらも、硬いボール紙に印刷され、刻印機で日付を入れる「硬券」だ。きっぷを受け取りながら、ホームでの撮影許可を願い出る。つぎの下り列車の発着を、取材しようと思う。

列車まで40分くらいある。その間に、郵便局を往復し、駅周辺を散策する。先ほどの石越駅前もそうだが、ローカル線沿線は、一種の「パラダイス」である。

「レザーデスクで今宵も楽しく」と大きく書いた店がある。いったい「レザーデスク」とは、何であるか。駅前には、中華の定食屋がある。あとで立ち寄ってみるか、と思っていたら、中からおばさんが出てきて、札を「準備中」に替えてしまった。ネタを一つ逃した。

駅に戻り、石油ストーブが暖かい待合室で、列車を待つ。木製のベンチは、戦前からここにあると思われる年季の入ったもので、磨り減って傾いた脚に、差し込んだ午後の光が影を作る。

そんな光景を、ぼうっと眺めるのは、なんともいえず贅沢な時間である。時が止まったかのようだ。

そうしていると、駅長事務室から、「ボーン、ボーン、ボーン」と、古時計のような音が鳴った。

これは、時計ではなく、先述来のタブレット閉塞機の電鈴の音である。タブレット閉塞の詳しい説明は省略するが、隣接する駅の駅長どうしが、連絡を取り合って、手動で列車の安全を確保するシステムである。

タブレット閉塞機は、19世紀に英国で発明されたシステムだが、電話のない時代に、電信で処理していたことから、閉塞機の操作は、相手の駅から電信で行なう。電鈴は、相手駅からの電信の合図である。現在は、専用の鉄道電話も併用し、「○○列車(列車番号)、定時閉塞要求」「○○列車、定時閉塞、承知」と、声をかけながら操作する。

どうでもいいことだが、民法で「要益地」と「承益地」という概念が出てきて、どっちがどっちだったか、混乱することがある。そういうとき、私は、タブレット閉塞扱い時の上記のフレーズを思い出している。

沢辺駅の駅長は、「若柳方」と書かれたタブレット閉塞機を操作し、若柳駅でタブレットを取り出せるようにする。併せて、もう一方の閉塞機を操作し、栗駒駅を呼び出し、閉塞要求をする。その度に響く、電鈴の音。心が和む音風景だ。私だけであろうが。

下り列車のタブレット交換の様子を撮影させてもらい、つぎの上り列車で、今度は若柳駅へ移動し、途中下車。ここは、くりでんの本社所在駅で、車庫もあり、栗原電鉄時代に使われていた電車が、ボロボロになって放置されている。「兵どもが夢の跡」―。そんな言葉が浮かぶ。そして、まもなく、すべてが消える。夕暮れ時、鬼気迫る光景であった。

とっぷり日も暮れた17時すぎ、JR石越駅に戻った。JR東北本線普通列車で、一ノ関駅へ移動し、明日に備え、駅近くのホテルに投宿。

昼ご飯を食べそびれたので、早めの夕食に繰り出した。気温は、1℃程度まで下がっている。駅前の、そこそこ流行っているラーメン屋の湯気に、誘われて入る。

メニューに、「大辛ラーメン」なるものがある。馬鹿馬鹿しいが、弟と張り合って「タバスコ」をそのまま飲んだことすらある辛い物好きの私としては、無視するわけにはゆかない。

店員の姉さんに「これ、スープのベースは何ですか?」と聞いてみると、「味噌をベースに、一味で味付けしたもの」だと言う。
「じゃあ、それを」と、注文。だいたい、メニューに「激辛注意」などとあるものに限って、辛くないのである。

…と思っていたら、運ばれてきたスープは、なかなか形容しがたい色をしている。見ただけで、辛味が伝わってくる。食べ始めたら、体中から汗が噴き出した。これは本気だ。店員に、おしぼりを貰い、それで顔を拭きながら食べる。

つづく(今日の日記については、後日掲載予定)