今年最後の空の旅

東北大学法学部


先日の東北旅行記の続きである。

12月9日土曜日。くりはら田園鉄道取材の翌朝、一ノ関6時02分発の大船渡線始発で気仙沼へ向かう。きょうは、仙台17時発のJEX2208便で帰阪するが、時間がありすぎる。そこで、気仙沼線経由で仙台−気仙沼間を結ぶ快速「南三陸」号の添乗取材をすることとした。現在、「南三陸」号には、国鉄時代のキハ58系急行型気動車などが使われているが、近く、JRの新型ディーゼルカーに置き換えが予定されている。

大船渡線始発の盛ゆきは、キハ110型単行。高出力エンジンを唸らせ、まだ真っ暗の大船渡線を行く。陸中門崎(りくちゅうかんざき)駅に停まる。以前、ABCテレビの「探偵!ナイトスクープ」で、この駅から5駅先の摺沢(すりさわ)駅との間で、マラソン選手の高校生と列車とが競走する企画をやっていた。この区間のJRの営業キロは、16.9キロ。列車の圧勝に終わりそうなものだが、大正14年開通の大船渡線は、道路より大きく遠回りしているのだ。

結果は、見事な接戦だった。摺沢駅を同時にスタートし、列車のほうが先に陸中門崎駅に到着したのだが、同駅で行き違いの一ノ関発の列車が数分遅れており、その間に、ランナーが追いつくという、演出したような展開になった。

そんなことを思い出しながら、車窓を眺める。徐々に、東の空が白んでくる。雲が多く、ぼんやり霞んでいる。

早起きだったので、眠気が高まってきた。未乗路線なら、意地でも目を見開くところだが、大船渡線は2年前にも乗ったことがある。初乗りの気仙沼線のためにも、ここで寝ておくほうがよい。私は、本能に身を委ねた。

停車駅ごとに目を覚まし、駅間走行中は夢の中、を繰り返し、7時27分、気仙沼に着いた。気仙沼駅の留置線には、キハ58系が2両停泊している。それにカメラを向けているマニアもいる。今の大船渡線の列車には乗っていなかったが、どこから来たのだろう、と思う。

乗り換える気仙沼線は、8時13分発の快速「南三陸」2号仙台ゆきである。時間があるので、駅前を散歩していると、気仙沼線ホームに、2両編成のキハ58が入線してきた。前述の留置されていた編成とは別で、両者を気仙沼駅で連結し、4両編成となって仙台へ向かう。「南三陸」は、急行型のキハ58系のほか、一般型のキハ40系が混結されることが多いが、きょうは4両ともキハ58系で揃った、美しい編成だ。

7時50分になると、待合室に、地元の人たちが続々と集まり始めた。仙台まで2時間、乗り換えなしで結ぶ「南三陸」は、なかなかの人気と見える。さっき、ホームで写真を撮っていたマニアが、地元のおっさんと話をしている。当地在住のようだ。その話の内容というのが、なかなか「鉄分」の濃い話であった。

7時55分、改札が始まる。4両編成で、指定席1両・自由席3両だが、指定席車と、自由席車の1両はリクライニングシートに改造されている。他の2両は、昔ながらの青いボックスシートが並ぶ。多くの客は、リクライニング車両に乗り込んでいるが、ここはあえて、オリジナルのボックスシートで、旅を楽しもう。

8時13分、30%程度の乗車率で、定刻に発車。すぐに大船渡線と別れ、気仙沼線に入る。昭和4年全通の大船渡線に対し、気仙沼線は昭和52年開業で、比較的新しい。昭和30年代までに建設された鉄道は、山にぶつかると、大人しく迂回するか、無理をして山越えに挑むことが多いが、新しい鉄道は、容赦なくトンネルでぶち抜いてゆく。とくに新幹線など、平地の用地買収で難航するより、トンネルを掘ってしまったほうが早いくらいになり、好んで山に入ってゆくようになった。その分、車窓は面白みに欠ける。

気仙沼線も例に漏れず、ローカル線には珍しい高規格線で、ちらちらと太平洋を見ながら、トンネルをつぎつぎに抜け、集落を通過してゆく。とはいっても、岩手県三陸鉄道のように、トンネルのオンパレードというほどではない。駅の作りも画一的で、面白みに欠ける。だが、高速運転が可能ゆえ、マイカー相手の競争力は高い。

快速「南三陸」は、気仙沼線内では、数駅ごと・10分おきくらいに停車する。この停車間隔は、かつての「急行」列車に相当する。特急のように、数十分も無停車ですっ飛ばすわけでもなく、普通列車のように数分毎に停まるのでもなく、適度に活気があって落ち着く。

停車駅ごとに、続々と客が増えてくる。それも、通学の高校生などの短区間の利用は少なく、仙台まで行くらしい人たちばかりだ。気仙沼発車時は、4両編成では輸送力過剰ではないかと思ったが、乗車率は8割を超えてきた。このあたりも、往年の「急行」列車を彷彿させる。

1時間あまりで気仙沼線を走破し、前谷地から石巻線に入る。つぎの涌谷で、下りの「南三陸」1号と交換。あちらは、一般型のキハ40系列ばかりの編成だ。あれに当たらなくてよかった、と思う。

9時42分、小牛田。ここからは、仙台までノンストップだ。小牛田でわずかな空席も埋まり、ほぼ満席で、東北本線をフルノッチで飛ばす。このように、雰囲気は非常によい列車なのだが、車内が寒い。寒冷地を走る列車は、暑いくらいに暖房が入っていることが多いのだが、珍しい。客のほとんどは、コートを着たままである。

この列車に使われているキハ58系は、車内の座席下に、暖房を調節するバルブがある。気動車の暖房装置は、エンジン冷却水の排熱を利用する仕組みで、そのバルブを開くと、暖房が強まる。乗客の中で、そんなことを知っているのは私だけだろうから、暖房を強めにいこうかとも思ったが、満員の乗客注視のなかで、不審な行動をとるのも気が引ける。

仙台に近づくにつれて雲が広がり、松島のあたりから、雪が舞い始めた。天気予報では、午前中は曇りで推移してくれそうだったが、雪なら悪い気はしない。雪もやまず、車内も寒いまま、10時19分、定刻に仙台に着いた。

さて、これから夕方まで、何をするか。昼は、牛タンを食べようと思うが、その前に、東北大学法学部を訪問することにする。ロースクールのクラスに、東北大学出身の女の子がいて、牛タンのうまい店など、彼女にいろいろ聞いておいた。

が、肝腎の仙台駅から大学までの行き方は聞いていない。駅の地図を見ると、2キロ強はあるが、歩けない距離ではない。見知らぬ街で、勝手知らないバスに乗るより、歩いたほうが早い。

雪が降り続いているので、駅前のコンビニで、ビニール傘を調達。もっと寒くなれば、解けずに積もる粉雪になり、傘などささなくてもよいが、すぐに解けてしまう雪なので、傘なしではずぶ濡れになる。

雪の中、しかるべき方向へ歩く。が、30分ほど歩いても、キャンパスにたどり着かない。どうやら、道を間違えたようだが、方向としては合っているので、そのまま歩く。結局、やや遠回りをして、駅から50分近くかかり、「東北大学川内北キャンパス」に到着。土曜日なので、学生の姿は少ない。ここは、教養のキャンパスのようだ。法学部はどこかな、と思っていると、道路を隔てた「川内南キャンパス」に、「法学部」の標識を見つける。

大学にはそれぞれ個性があるが、京大を見慣れた目には、東北大学のキャンパスは、国立にしては整いすぎているように見える。溢れかえる自転車の洪水がないからかもしれない。法学部の掲示を見たり、生協の本屋を覗いたりする。京大生協には、京大の教授の教科書が所狭しと並んでいるが、当地では、東大系が圧倒的だ。カルチャーショックを覚える。

そうしているうちに時間が経ち、来た道とは別の道で帰りかけると、仙台城跡の一角に出た。往路では、気づかない間に、だいぶ登っていたようだ。急な坂道を下り、「仙台国際センター」前から、仙台市バスに乗り、仙台駅前へ戻った。

仙台の中心街・青葉通りから脇に入った商店街を歩く。このあたりに、牛タンの「利久」があるはずだが、とキョロキョロしていると、行列のできている店を発見。それが、めざすべき「利久」であった。

これが牛タンか、と私は思った。これまでにも、焼肉屋でタン塩をつまんだり、ロシアでは「壷焼タンシチュー」を食べたりしたことはあるが、牛タンそのものを味わったのは、初めてのような気がした。非常に満足し、店を出た。

時刻は、14時。仙台15時28分発の東北本線の列車に乗ることにしているので、まだ時間がある。もう行くべきところはないので、「クリスロード」商店街内の喫茶店に入り、SoftBank X01HTを開き、ネットをして時間をつぶす。この間に、JEX便のチェックインも済ませておく。

来た時と同じように、館腰駅乗り継ぎルートで、仙台空港へ。これで、旅は当分お預けだな、と思いながら、B737-400に吸い込まれる。今年21回目の飛行機搭乗だ。外は、雨。左の主翼先端に煌めく赤いランプが、涙雨に霞んだ。