防衛省に望むこと

9日、防衛庁は、悲願だった「防衛省」に昇格する。これは、看板の架けかえにとどまらず、わが国の防衛上、積極的な意義を有している。

防衛省になって、何が変わるのか。いくつか例を挙げよう。これまで、日本の安全保障政策を所管していたのは、外務省である。たしかに、外交の一環でもあるし、国連憲章日米安全保障条約などの条約(国際法)解釈とも無縁ではないから、理由のないことではない。だが、防衛庁が、自衛隊の「オペレーション」業務にとどまっていたことは、「国防」の観点から政策立案する役所がなかったということである。国防政策なき主権国家など、ありえない。新生防衛省には、政策立案能力を大いに向上させていただきたい。

また、各省の大臣は閣議の開催を請求できるが(内閣法4条3項)、防衛庁長官には認められていなかった。今後は、国防上、閣議にかけるべき案件があれば、防衛大臣自ら、速やかに閣議の開催を求められるのは、大きな進歩といえよう。北東アジアの安全保障環境は、緊張の度合いを増す一方である。防衛大臣には、積極的に発言してもらいたい。

このように、防衛省の誕生は、「戦後体制からの脱却」を掲げる安倍政権にとっても、具体的な改革の一つなのだが、初代防衛大臣に就任する久間氏の資質には、首を傾げざるを得ない。北朝鮮の核実験に際しては「核実験だけでは、周辺事態認定は難しい」などと呑気な発言をしたかと思えば、先月には、イラク戦争時における合衆国支持について、「政府は米国の戦争を支持すると公式に言ったわけではない」と、耳を疑う発言までしている(後日、訂正し撤回)。

さらに、わが国が合衆国と共同開発中のいわゆる「ミサイル防衛(MD)」については、「米国に向かっているミサイルを撃ち落とすことはできない。憲法を改正しないと難しい」とも言うが、いったい、日本国憲法のどの規定が、集団的自衛権の行使を禁止しているというのか。「集団的自衛権は、国際法上『保持』しているが、憲法上『行使』できない」(内閣法制局)などという屈曲した憲法解釈を、今すぐにも改めればよいだけのことである。

自民党には、石破茂・元防衛庁長官のような逸材もおられるのだから、安倍首相には、適材適所をお願いしたい。お願いついでに、もう一つ。

防衛省」という名称は、どこか間抜けである。いったい何を「防衛」するのか。いうまでもなく、日本国の平和と安全、国民の生命と財産なのであるから、「国防省」とするのが素直であろう。まあ、よい。この点は、「憲法9条」削除・国軍創設とセットで、将来への宿題としておこう。