九州、秋田、そして、フランス

旅好きとして、「旅」を仕事にできないか、と思うことがある。旅行記を書いたりするわけでもなく、旅そのものを。

そんな私でも、今週は、日本全国を飛び回り、正直言って疲れた。「移動時間こそ旅の真髄」と思っているから、長距離の移動も苦痛ではないけれど、「ゆっくり家で勉強したい」、そんな殊勝なことを思うくらいだから、相当「重症」と思われる。

水曜日、一週間にわたって周遊した九州から帰宅し、翌日は京都へ。このころ、いったん、修習地・秋田の家を決定しかけるも、現地を見たほうがよい、とのアドバイスをいただき、昨日の朝一番の飛行機で、秋田へ飛んだ。実際に部屋を見て、当初とは違う物件を契約。予定では、秋田から寝台特急日本海」で帰ってくるつもりだったが、14時前には、部屋が決まっていた。

さて、どうするか。秋田新幹線「こまち」と「のぞみ」を乗り継げば、その日のうちに帰宅できる。「エクスプレス予約」のグリーンポイントが貯まっていて、「のぞみ」のグリーン車に乗れるので、それにも惹かれたが、私の頭に埋め込まれた「体内時刻表」は、別のことを考え始めた。

10年以上、鉄道旅行をやっていると、ある都市(駅)から都市(駅)まで、どのくらいでたどり着けるか、直感的にわかるようになる。この時間に秋田を出れば、羽越本線の鈍行列車を乗り継いでも、新潟発大阪ゆきの寝台急行「きたぐに」に、間に合いそうだ。

「時刻表」を持参していなかったので、私は、JR秋田駅に急いだ。窓口備え付けの「時刻表」を繰ると、秋田1447発というお誂え向きの普通列車があり、酒田と新発田で乗り継げば、新潟に2055に着き、新潟2255発の「きたぐに」には、ゆっくり間に合う。私は、犯人のアリバイを突き崩したかのような錯覚を覚えた。

羽越本線を明るいうちに通るのは、実に久しぶりで、私は、ずっと日本海側の車窓を眺めていた。明るい、といっても、低い雲がどんよりと垂れ込め、果てしなく続く灰色の海と同化していた。日本海は、完全に、冬の装いであった。

そして、JRグループの技術研究所に勤める、高校時代の友人が、偶然、新潟に来ていることがわかり、新潟で会食。「鉄道」の話題だけで盛り上がれる相手というのは、なかなかいない。最新の鉄道事情をたっぷり語り合い、私は、満ち足りた気分で、「きたぐに」の寝台に潜り込んだ。

今朝、大阪の自宅に帰宅したが、旅の「クライマックスシリーズ」は、これからが佳境である。

明日のJAL5051便(エール・フランス運航)で、パリへ飛ぶ。折も折、サルコジ大統領の進める年金改革に反対し、エール・フランスの労働組合ストライキに突入しており、成田発便は欠航が決まっているが、関西発便は、なんとか飛んでくれそうだ。

パリから、ボルドーマルセイユを回り、スイスのジュネーブまで、鉄道(フランス国鉄自慢の高速鉄道TGV」)で行き、それぞれ一泊。パリに戻ってからは、ルーブル・オルセー両美術館などを見て、来週月曜日、本邦に帰国する予定である。

私は、フランス語はまったく話せないし、パリも初めてである。それでも、不安で不安で仕方がなかった、6月の南アフリカ行きの旅立ちと比べると、気は楽だ。オ・ルヴォワール!