「反捕鯨」テロリストを許すな

あるニュースに,「転び公妨」(ころびこうぼう)という言葉が,脳裏をよぎった。これは,30年ほど前,大企業本社を狙った爆弾テロなど,日本国内で過激派が猛威を奮ったころ,公安警察がよく使った(?)手法で,不審者に「職務質問」をかける際,警察官が,対象者から押された振りをしてわざとその場に転び,公務執行妨害の現行犯として対象者を逮捕してしまう「荒業」のことだ。いうまでもなく,このような警察活動は違法だが,「転び公妨」のプロともなると,役者顔負けの演技だったという。

そんな「転び公妨」のプロが,南極海でわが国の調査捕鯨船に対して暴力的破壊活動を繰り返すテロ集団「シー・シェパード」にもいるらしい。度重なる警告にも拘らず,わが方に対し,悪臭を発する酪酸等の入ったガラス瓶を投げつけるなどの暴行・破壊行為をやめないので,海上保安官が「警告弾」を投下したところ,それによって3人が負傷した,と息巻いているのだ。警告弾は,大きな音を出すだけで,人体に害はないはずなのだが。

シー・シェパード」のような犯罪者集団は相手にするまでもないとして,オーストラリアなど,反捕鯨国の主張には,理解に苦しむところがある。「クジラを守れ」というが,実は,クジラの個体数は増え続けていて,エサとなる魚が減少し,かえって生態系を乱している。また,われわれがクジラをことさらに虐待している,というのなら話はわかるが,海の恵みとしての捕鯨はダメで,かたや,牛は無制限に殺してよい,というのは,「動物差別」である。

捕鯨国がいかに増えようと,日本・ノルウェーなど捕鯨国の理論的正当性はいささかも揺るがないのだが,困るのは,「シー・シェパード」や「グリーン・ピース」のような,「環境保護」を隠れ蓑にする国際テロ集団の標的とされることである。

今年1月から続く一連の妨害行為は,日本国内法に照らせば,刑法の暴行・傷害・往来危険・艦船損壊罪等の実行行為に該当する。しかし,犯人を逮捕できたのは,わが方船内に実際に侵入したケースにとどまっている。

これは,国際法上,「旗国主義」と呼ばれる考え方が妥当するからだ。伝統的に,船舶は「浮かぶ領土」と考えられてきた。公海上の行為に管轄権を行使できるのは,一次的には「旗国」(船舶の国籍国)に限られる。したがって,一連の破壊活動を取り締まる権限を持つのは,「シー・シェパード工作船の旗国・オランダであり,わが国が警察権を行使することは,オランダの国家主権の侵害ともなりうる。

しかしながら,これでは,犯罪行為に実効的に対処できないこともある(税金が安いという理由で,第三国を旗国とする「便宜置籍船」などを想定せよ)。

「旗国主義」という原則に対する重要な例外として,海賊行為への「普遍的管轄権」(universal jurisdiction)が挙げられる。これは,海賊を「人類共通の敵」(hostis humani generis)とみなし,いずれの国でも取り締まることができる,とする考え方である。国際慣習法として,19世紀に確立した。

海賊,というと,古代のヴァイキングなど,牧歌的なものをイメージされるかもしれないが,海賊行為は,近年増加傾向にあり,手段も悪質・巧妙化している。海賊行為とは,「公海またはその上空などいずれの国の管轄権にも服さない場所にある船舶,航空機,人または財産に対して行われる,私有の船舶または航空機の乗組員または旅客による,私的目的のために行うすべての不法な暴力行為,抑留または略奪行為,及びそのような行為を煽動又は故意に助長するすべての行為」と定義されている(国連海洋法条約101条)。

この定義に照らすと,「シー・シェパード」による妨害行為は,まさに海賊そのものということになる。

そうであれば,海上保安庁は,何を躊躇うことがあろう。冬柴国交相は,「警告弾」の使用に関し,「正当防衛(が成立し,合法である)」との認識を示したが,仮に正当防衛でなくとも,海賊行為の取締りとして,堂々とやればよいのだ。もちろん,必要な範囲で,有形力を行使することができるのは,いうまでもない。

目の前にテロリスト(海賊)がいるのに,手をこまねいている理由はない。折しも今夏は,北海道洞爺湖サミットも開催される。日本が,テロに寛容な国という誤ったメッセージを発してはならないのだ。