胡錦濤来日―熱烈歓迎などできぬ

中国の胡錦濤国家主席が,きょう,来日した。中国の国家主席の来日は10年ぶりで,親中派論者は「暖かい春が来た」「日中の戦略的互恵関係は歴史的スタートラインに立った」などと,大はしゃぎしている。

しかし,国際政治の現実を冷静に直視すれば,日本は,最悪のタイミングで胡主席を迎えたといわざるをえない。チベットにおける民族・宗教弾圧に対し,国際社会の非難が高まっているなかで,アジアの盟主たる日本が胡主席を受け入れることは,中国の姿勢を日本が支持したという印象を与えかねないのだ。

過去にも,平成4年の天皇陛下の中国ご訪問が,天安門事件(1989年)後の西側諸国による制裁解除の「口実」として,中国に利用された経緯がある。しかも今回は,日本側の窓口が「親中派」を自任する福田総理とあって,中国側は,さぞかし「御しやすい相手」と,ほくそ笑んでいるに違いない。

今回,中国が,日中間の懸案事項についての「手土産」を用意しているかといえば,否である。なにしろ,「毒餃子」殺人未遂被疑事件では,中国の公安当局(警察)による事実上の捜査終了宣言(2月28日)に対し,「非常に前向きですね」と聞く耳を疑うコメントを平然とし,日中ガス田問題では,安倍政権下で,日本企業にも試掘権が与えられていたにも拘らず,中国海軍から「日本が試掘すれば軍艦を出す」などと恫喝されるや,試掘に待ったをかけた,福田総理が相手とあっては,中国にとって,赤子の手をひねるより容易だろう。

日本国内の親中派論者も,こうした事実を無視できなくなったのか,交渉内容について論ずるのではなく,「10年間,首脳交流がなかったことが異常」だといい,首脳が定期的に相互訪問する「ピンポン外交」を定着させることが重要,と主張している。

しかし,「参加することに意義がある」オリンピックではあるまいし(もっとも,この概念じたい,われわれの考え方とは相容れないが),形だけのセレモニーにすぎない首脳会談など,およそ意味はない。会談に応じられない外交状況であれば,会談しない,というのも,一つの選択肢である。

福田総理は,総理就任時,靖国神社参拝の意向を問われ,こう答えた。
「お友達が嫌がることをあえてしますか。しないでしょう」

この考えそのものは,間違ってはいない。しかし,ガス田問題にしても,3年前の「反日」暴動にしても,お友達(日本)が嫌がることを,あえてし続けてきたのは,他ならぬ中国であって,日本ではない。

信頼関係を軸に,言うべきことは言うのが,真の「友達」付き合いである。チベット問題などをめぐる,腫れ物に触るような福田総理の対中姿勢を見ていると,総理が閣内にも党内にも「友達がいない」と言われるのも,さもありなん,という思いが募る。

今夜の両首脳による非公式夕食会では,早速,上野動物園につがいのパンダ2頭を貸し出すことが合意されたという。国益を懸けた外交の真剣勝負を放棄し,「日中友好」名下に臭いものには蓋をしたうえ,パンダが胡錦濤来日の最大の成果だとすれば,福田総理は,まさにピエロである。